芸術家への敬意― 実演家の人格権に想う ―

棚野正士備忘録

(著作権情報センター発行「コピライト」No.530 6/2005“Copyright Essay”掲載)

IT企業法務研究所主任研究員 棚野正士

 実演家あるいは広い意味での芸術家の社会的問題を考えるとき、基礎的な重要文献に、ユネスコの「芸術家の地位に関する勧告」(1980年のユネスコ第21回総会において採択された勧告)がある。 この勧告は前文で、「最も広く定義された芸術が、生活の不可欠な部分であること、かつ、そうあるべきであることを認め、」と述べ、定義では「“芸術家”とは、芸術家として認知され、又は認知されることを希望するすべての者を意味するものとする。」「“地位”とは、芸術家が社会において果すことを期待されている役割の重要性に基づき、芸術家に払われる敬意を意味し、」と述べている。  20世紀の大芸術家六世中村歌右衛門は22年間芸団協(社団法人日本芸能実演家団体協議会)の会長として、多分野の日本の芸能実演家を統括してきたが、常に頭の中にあったものは、“芸術家の地位”“芸術家に払われる敬意”という意識であった。この心が65000人の芸術家を纏め上げた。わたくしは芸団協職員として世紀の大芸術家の側に居て会長の息づかいに触れてきた。  例えば著作権法上の問題にしても、中村歌右衛門が考える基点はここにあった。実演家の財産権にかかわる問題を解くときも、その鍵は“敬意”という人格的価値であり、権利にかかわる作品の出来映えが問われた。これは中村歌右衛門だけでなく、芸術家としての実演家に共通する意識ではないだろうか。  そのことを思うと、財産権という経済的価値にかかわる問題でも、実演家にとっては人格的価値にかかわる問題意識が潜んでいるように思う。実演家にとって、“金銭”以上に“敬意”が大切であり人格的価値が大事である。ある場合には金銭も“敬意”の具体化であり、人格的要素が投影されているといえるかもしれない。  今年3月8日、芸団協の平成16年度芸能功労者表彰が行われたが、この事業に最も力を注いでおられる人間国宝野村萬現会長は挨拶の中で、「芸能に携わる者は芸能を敬愛する心を持たなければならない」と説き、「芸能の力を信じ、恐れ、敬い、襟を正して、芸に立ち向かう事こそが芸能の道を志す者にとって最も大切な事であり」と述べている。“敬う”、なんと美しい日本語であろうか。時代はこの言葉を忘れている。  いま、知的財産立国が国家戦略となり、“コンテンツ”の振興が叫ばれているが、コンテンツを形づくるものは人(ひと)であり、人の営みである。コンテンツは産業的営みによって創られるが、コンテンツを形成するものは人の行為である。人を敬う、人の営みへの敬意、こうした心が著作権法制度の根底に求められるのではないだろうか。  実演家の人格権は平成14年に著作権法に規定された。40前に問題を提起し法改正を提唱した芸団協の中心に俳優久松保夫がいた。久松保夫の心の底には滾(たぎ)るような芸能への情熱、実演家への想いがあり、さらにその奥には人への愛があった。実演家の名誉、声望が害されるとき、彼は怒った。実演家が侮蔑され差別されたとき、彼は全身で怒りを露にした。  実演家の人格権は問題提起されてから法成立までに40年、久松保夫が亡くなってから20年の歳月を要している。永い年月を要したが、漸く実演家と映画製作者、映像ソフト事業者、放送事業者等との合意によって法改正が成立した。関係当事者の間で、コンテンツの振興という共通の課題を相互に認識し合い、その土俵に立って双方で相手方への敬意を保ちつつ対立点、問題点を出し合い、解決法を探って法改正という困難な岸に漕ぎ着けた。  人格権という課題は一応の解決を見たが、実演家にはもう一つの大きい課題がある。それは影像に係わる経済的権利の法的秩序の見直しである。国際的には1961年ローマ条約(実演家等保護条約)成立時以来の問題であり、国内的には1970年著作権法成立のときからの課題である。2000年、WIPO視聴覚的実演の保護に関する外交会議で新条約が検討されたが、アメリカとEUの対立が解決できないまま成立には至らなかった。対立の根底には、実演家より製作者の権利が優先するという産業的動機が働いているように思える。  しかし、合意した条約前文の第一文には、「締約国は、視聴覚的実演に関する実演家の権利の保護をできる限り効果的かつ統一的に発展させ及び維持することを希望し、」と記されている。「実演家の権利の保護」という視点に重点を移せばおのずから問題を解く道筋は見出せるのではないだろうか。経済的権利も“実演家への敬意”という鍵を用いればドアは滑らかに開くのではないか。  この課題が国内的、あるいは国際的に解決されて、時代に相応しい法的秩序が形成され、中村歌右衛門や久松保夫の墓前に報告できる日はいつ来るのだろうか。(元・芸団協専務理事)

コメント

lilas wrote:
芸術作品から感動をもらい、恩恵を受けている一個人として、それに対しては、正当な対価を支払いたいと感じます。
まさに「金銭も“敬意”の具体化」かなと思いました。

最後に・・・野村先生のお言葉に深い感銘を受けました。
日本の伝統芸能を観るときに沸きあがる不思議な感動は、こうした想いが自然と伝わってきているからなのかな、とふと感じました。

2007-08-25 02:05:43

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