随想風組織論

棚野正士備忘録

(本稿は芸団協著作隣接権総合研究所研究誌「Oh FARM」第6号(2014.6 発行)に掲載したものである。)

IT企業法務研究所代表研究員 棚野 正士(Oh FARM前編集人)

1.はじめに

 一般社団法人日本音楽事業者協会(音事協)の「音事協50年の歩み」が2014年3月発行された。
 その中の「実演家著作隣接権センターの設立」の末尾にこう書いてある。
 「CPRA設立をめぐる芸団協と音事協、音制連の対立は、まさに“闘争”と呼ぶにふさわしい交渉であった。」(同書088ページ)
 「“闘争”と呼ぶにふさわしい交渉であった」という記述に、わたくしは深い感銘を覚えた。
 1990年頃であったろうか、当時芸団協は「芸能センター設立」を構想し担当委員会で検討されていた。芸能センターは当初ハードとしてのセンターが構想されていたが、後にソフトとしての検討に切り替えた。
 わたくしは当時事務局の立場から、ある時ふと「芸能センター」を考えるなら「著作隣接権センター」も必要ではないかと考え、小泉博専務理事に提案し中村歌右衛門会長に報告した。
 CPRAはそこから始まった。著作隣接権センターは音事協、音制連を含めた全権利者を結集する機構を構想した。事務局として「著作隣接権センター」を思いついたのは、貸レコード使用料の問題で音制連後藤由多加理事長(当時は十日会)に会ってからである。後藤理事長に会い芸団協の外に“重要な権利者”がいることを知った。また、同じ課題で音事協堀威夫会長に会い、“アーティスト”と“演奏家”の違いを知った。なお、この時、堀会長がプロダクションの法的権利について触れていたことは印象に残った。
 音事協、音制連、芸団協の交渉は一点において対立した。芸団協の内に著作隣接権センターをつくるか外につくるかであった。内か外かは別にして著作隣接権センターをつくることについては三者は意見が一致した。
 音事協、音制連は芸団協の外に著作隣接権センターをつくることを主張し、芸団協は内につくることを主張した。一つの法人の下に、実演家の権利を守る事業、福祉をはかる事業、芸能文化振興の事業があることで実演家が擁護できると主張し、芸団協の内につくることにこだわった。わたくしの中では三つの傘で実演家を守るアンブレラ方式をイメージしていた。組織としては、著作隣接権センター、芸能福祉センター、芸能文化センターが頭にあった。
 三つの傘は別にして、著作隣接権センターをどのようにつくるかで関係団体が集まり委員会を設置して議論を重ねたが難航した。
 この間、わたくしは当時の音事協田邊昭知会長、音制連後藤由多加理事長と三人で、1990年から1993年にかけて数回、1998年組織見直時に3回協議した。二人は組織のトップだけあって横綱の胸を借りて交渉しているという思いがあって、全力でぶつかった。
 田邊会長は芸能界の大横綱で、わたくしはそれまであれほど“すごい”横綱には会ったことがなかったし、その想いは今も消えない。お二人と議論できたことは、わたくしの芸団協人生で最も充実した楽しい出来事であった。
 しかし、土俵の上で三者で“闘争”している時は得難い時間であったが、芸団協の内部では嵐が吹き荒れていた。1993年にCPRAは発足し、1998年に見直しを行った。見直しの要点は、一つの法人内に独立的な機構をつくるといういわば、CPRAを“法人内法人”としてつくるという発想であり、合衆国の中の“独立州”という考えであった。
 なお、付記すると、当初「著作隣接権センター」という名称を考え時、頭に「実演家」という言葉はついていなかった、ドイツのGVLのように、もしかしたら実演家の権利とレコード製作者の権利の両方をカヴァーする機構もあり得ると考えたからである。この隠れた野心は委員会に持ち出さないまま、当然のように「実演家」がくっついて、「実演家著作隣接権センター」となった。

2.CPRAの海外展開

 1999年5月27日、第145回国会参議院文教・科学委員会で著作権法改正法案について参考人の意見陳述と質疑が行われ、わたくしは参考人として出席し各党の質問を受けた。冒頭の扇千景議員の質問に対しては、こう答えた。
 「実演家著作隣接権センターを、関係団体の協力を得まして昨年(1998年)再構築しました。関係団体というのは、日本音楽事業者協会、音楽制作者連盟、事業者あるいは制作者といった実演家のパートナーたちの協力も得て隣接権センターを再構築したということを申し上げたいと思います。
 そういう意味では、従来は社団法人芸団協内の隣接権センターでありましたけれども、今後はいわば、法人芸団協の中にありますけれども、日本の隣接権センター、しかも内容的には世界最強のものにしたい。隣接権処理、実演家の権利処理もヨーロッパにおいてもまだまだ発展途上でございまして、隣接権処理のシステムを日本としてはむしろ発信したい、輸出したいというぐらいの意気込みであります。芸団協における隣接権センターはそういった方向を目指すということで委員みんな努力しています。」(第145回国会参議院文教・科学委員会13号15頁)
 今、CPRAは隣接権システムを輸出する、特に東南アジア、北方アジアに発信する、輸出するという構想をもつとどうだろうか。
 現在アジアで集中管理団体を持っている国は、日本、韓国、フィリピン、マレーシアの4か国のみであり、団体として実際に機能しているのは日本のCPRAと韓国のFKMPだけである。そのためアジアにコレクティング・ソサイエティをつくることを促進するという発想である。
 この場合、単に各国における集中管理団体設立を手伝うだけでなく、“カルチャーファースト”の発想で、日本の音楽文化、映像文化などを発信すると共に実演家の権利問題を援護するとどうであろうか。しかもそれは実演家著作隣接権センターが行う、CPRAの名において行うとどうであろうか。「文化」と「権利」表裏一体のCPRAブランドの海外戦略、CPRAのアジア戦略である。

3.プロダクション等の法的立場

 芸能文化はいわば富士山である。てっぺんの芸能文化の山頂に登るには二つの登山道がある。“実演家”からの登山道と“プロダクション等”からの登山道である。
 ドイツ著作権法には注目すべき規定がある。1966年施行の「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)著作権法」第79条では、実演の利用は実演家と使用者ないし雇主の雇用関係によって定まることを定め、第80条では、合唱、オーケストラ演奏及び舞台の上演に関して,理事会の同意あるいは集団の長の同意を規定し、第81条では、開催者の保護として企業主の同意を定めている(斉藤博訳「外国著作権法令集(1)(著作権資料協会、1983)43頁」)。その後の法改正により規定は変わったものの、第81条では、主催者の保護として、一定の権利が実演芸術家とともにその事業の保有者にも帰属することが定められている(本山雅弘訳「外国著作権法令集(43)‐ドイツ編‐」(著作権情報センター2010)52頁)。
 実演は自然人である実演家によってのみ行われるものではなく、実演家とそれにかかわる制作者、事業者等との共同作業で行われる。今後の著作隣接権制度は実演に係わるプロダクション、事業者など関連者への法的立場も検討する必要があると思う。
 ただし,自然人である実演家の法的立場は、著作隣接権制度の外に置くか中に置くかは別にして、いずれにせよ著作者と同等の自然人の権利として位置付けられなければならない。その上で、著作隣接権制度は制作者,事業者等を保護する制度として著作権法の構造を整理するとどうかと考える。

4.実演家の課題、特に「契約」について

 富士山のもう一つの登山道である実演家の権利を見ておきたい。事業者の法的立場も重要であるが、実演家の権利こそが王道である。著作者と同じ自然人である実演家こそ最重要な法的主体である。実演家の権利は多くの切り口があるが、「契約」が今最も重要な課題である。
 2012年に作成された「視聴覚的実演に関する北京条約」第12条(権利の移転)第2項は「締約国は、自らの国内法の下で製作された視聴覚的固定物に関し、そうした同意や契約は、書面により、かつ契約の当事者又は適正な代理人によって署名されること要するものとすることができる。」と定めている。
 国内法第93条(放送のための固定)、第94条(放送のための固定物等による放送)に「契約」という文字を見ることができる。前者は「契約に別段の定めがある場合(略)は、この限りではない。」と規定し、後者は「契約に別段の定めがない限り、(略)次に掲げる放送において放送することができる。」と定めている。
 フランス法では契約について次の規定がある。(条文については、著作権情報センター「著作権データベース・外国著作権法」参照)
 第131の1条 将来の著作物の統括譲渡は、無効とする。
 第132の2条 この章に定める上演・演奏契約、出版契約及び視聴覚製作契約は、書面で確認されなければならない。演奏の無償許諾についても、同様とする。
 第212の3条 実演家の実演の固定、その複製及びその公衆への伝達並びに音と映像が同時に固定されている実演のその音と映像のいずれの個別使用も、実演家の書面による許諾を必要とする。

 また、ドイツ法では次の規定が見られる。
 第31a条(未知の使用方法に関する契約)契約で、それにより著作者が未知の使用方法に関する権利を許諾し、又はその義務を負担するものは、書面形式を要する。
 第40条(将来の著作物に関する契約)(1)著作者が、将来の著作物であって、およそ詳細には確定しておらず、又はその種類をもって確定しているにすぎないものに対して、その使用権を許与することにつき義務を負う契約は、書面による方式を要する。(以下、略)

 著作権法に「契約法」をもち込むことは重要である。そのためにも、実演家は契約の実態をつくっておかなければいけない。

5.実演家の課題、特に「契約」について

 野村萬会長は季刊「パーフォーマー」2001年冬号Vol.44「けん・もん・しん KEN・MON・SHIN」で新春の祝詞を述べ、世阿弥の「習道書」を引いて、座員各自の協調と調和なくしては繁栄も成功も望めないと次の通り述べている。
 「演者のみのこととも、一座・一団体のこととも限りますまい。事業者・演出家・制作者など直接芸能の発信に関わる人々、そして、事業者など受信者(観客・聴衆等)との仲立ちを担う人々、芸能に携わる人々のすべてが、個々の利害を超え、「けん・もん・しん」(注)の芸能の原点に立ち帰って、志高く歩みを共にし、力を結集して事に当たることこそ、時代の要請に応え、日本の芸能の未来を切り開く道であろうと思うのです。」
 (注:野村萬会長は「『見』を主とする芸能、『聞』を主とする芸能、その主眼とするところは異なろうとも、所詮『心』なくしては成り立つべくもなく」と述べている。)
 わたくしは野村会長の2001年・年頭所感にCPRAの思想的原点を見て、突如光を得て精神的に解放され、2002年に芸団協を辞任した。

6.組織の再構築

 新聞報道によると、2014年5月に国立競技場が長い歴史を閉じ、東京オリンピックに向けて2019年に新しく生まれ変わるという。2014年5月には音制連がファイナルウィークのイベントとして「JAPAN NIGHT」を開催した。
 組織は建物と同じで長い年月の間には老朽化する。CPRAは2013年に設立20年を迎え、その母体である芸団協は2015年に設立50年を迎える。
 芸団協(公益社団法人日本芸能実演家団体協議会)は2012年に“社団法人”から“公益社団法人”に衣替えした。
 芸団協は明治32年の旧著作権法以来の永い歴史の流れから生まれた組織である。そして、CPRAは実演家の永い時の流れから歴史の求めに応じて生まれたように実感する。
 百年の時の流れを踏まえ、今後百年を見据えて、この時期に再度組織を見直すことも必要ではないだろうか。

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