地域の疲弊(高知市播磨屋橋の場合)

棚野正士備忘録

2009.11.25 IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

「土佐の高知の はりまや橋で  坊さんかんざし買うを見た  よさこい よさこい」

 民謡・よさこい節で歌われている高知市の播磨屋橋が今大揺れに揺れている。橋が揺れているのではない。はりまや橋のある播磨屋橋地区が揺れているのである。  播磨屋橋は高知市の東西・南北の幹線道路が交差する地点であり、土佐電鉄の東西・南北に走る市電がそこで交わっている。東京で言えば、銀座4丁目であり、高知ブランドを象徴する場所である。  その交差点の一角4,000平方メートルが2002年から空き地になっている。そこには元高知西武百貨店があった。高知西武閉店後はその跡地の再開発は県、市にとって長年の重要課題であった。  跡地に関しては、11月6日付け高知新聞に「はりまや橋周辺活性化協議会(会長西山昌男)」が県市に、「はりまや橋活性化緊急提言」を出したと報道されていた。そこでは観光拠点化や周辺へのマンガロード整備案を織り込んだ提言が紹介され、ようやく再開発が動き出したかと期待が持たれた。  しかし、その直後、11月20日付け高知新聞朝刊の一面トップ記事で、「高知西武跡 パチンコ店か 不動産会社に転売」との見出しで、「再開発計画が白紙になっていた高知西武百貨店跡地の売買契約が、19日にまとまった。買い主は大阪市のアーク不動産。同社は活用法を明らかにしていないが、関係者の話を総合すると、パチンコ店を主体とした複合ビルになる可能性が高いという。」と報じられた。この朝刊トップ記事は早速反響を呼び、20日の夕刊は、「高知西武跡地再開発 結局パチンコ店・・・」「“何もないよりは”の声も」と大きく取り上げており、県民、市民の間で大きな議論を呼んでいる。  全国各地で地域の疲弊が問題になっているが、播磨屋橋のケースはその典型である。  「高知西武跡地 パチンコ店か」という問題は、地域の文化力の欠落のように思われる。文化力の筋肉疲労である。本来カネが経済を生むのではなく、チエが経済を生む、文化が経済を生むのではないか。想像力が経済を活性化し、カネを生み出すのではないか。想像力は創造の源泉であると思われるが、その創造力が疲弊しているのではないか。パチンコ屋を否定する資格はないが、しかし、わたくしには、どうしてもそうとしか思えない。  11月20日高知新聞朝刊一面トップで、「高知西武跡パチンコ店か」の記事が出て、込み上げる怒りを抑えながら、わたくしはその日の内に、高知新聞「声ひろば」に投稿し、23日同紙朝刊に掲載された。地域振興の問題を考える意味で、一つの資料として、今年高知新聞に掲載された他の記事と共に以下に紹介する。

「土佐の高知の はりまや橋で  坊さんパチンコするを見た よさこい よさこい」  にならないことを祈る。

以上

高知はおしまいか(2009.11.23 高知新聞「声ひろば」掲載)

IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

「よさこい節」に歌われるように、播磨屋橋は日本的いや世界的ブランド力を持つ地点である。高知の南北ライン、東西ラインの基点であり、高知人の心の支柱でもある。  2002年高知西武が閉店以来空き地になり、高知に帰る度に寂しい思いがしていたが、11月6日付け高新によると「はりまや橋周辺活性化協議会(西山昌男会長)」が「はりまや橋周辺活性化に関する緊急提言」を県市に行ったと報じた。  高新見出しには「西武跡地を観光拠点にー県市に提言、マンガロード案も」とあり、高知人としてたいへん勇気付けられた。  しかし、11月20日付け高新一面は、「高知西武跡パチンコ店か」との見出しで、「パチンコ店を主体とした複合ビルになる可能性が強いという」と報じている。  高知県あるいは高知市の文化戦略、観光戦略の中心点となるべき播磨屋橋交差点の一角が「パチンコ店」になると、高知はもはや“おしまい”である。  今こそ高知県民(県外に住む高知人も含めて)一丸となって、西武百貨店跡地4千平方メートルの活用に知恵を結集することはできないだろうか。この地点は地権者の私的所有権を超えた公的意義を持っている。

以上

国立漫画館を高知へ (2009.7.10 高知新聞「声ひろば」掲載)

IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

 6月11日付高知新聞(夕刊)に「高知西武跡売却へ」の記事が出ていた。播磨屋橋は高知市あるいは高知県にとって、大切な”へそ”に当たる地点であり、高知のブランド力を支える重要ポイントである。  今、国は補正予算117億円で「国立メディア芸術総合センター」を造ろうとしている。漫画、アニメ、ゲーム、メディアアートなどのメディア芸術を対象とする国立の新しい美術館であるが、これには「国営マンガ喫茶」などと批判が出ている。  議論、批判が噴出している状況に乗じて117億円の一部を高知に誘導して、漫画に特化した国際的な美術館を、播磨屋橋交差点の一角である高知西武跡に造ることはできないか。単なるコンクリートの建物ではなく、森をつくり、木造の町屋風の建築群を造り、漫画家とその作品の展示や研究、漫画に関する多次元の調査・ 研究、あるいは養成機関などを置くとどうか。  なぜ高知かという問題が出れば、西日本の拠点として漫画天国・高知に置くと考えれば良い。もしかして、東日本の漫画天国・新潟にも置いて良い。新高梨の縁である。なにも、東京だけにある必要はない。

以上

植物園シティに(2009.5.6 高知新聞「声ひろば」掲載)

IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

 最近、JR高知駅を木々で囲み、自然豊かな高知にふさわしい陸の玄関にしようという「森の中の高知駅」づくりの運動を知りました。  市民が集まり、憩い、楽しめる「森の中の高知駅」、「日本一住みたい・訪ねたい」高知を実現する起点、夢が膨らむ構想です。  高知駅が起点になって、県全体が「森の中の高知県」になれば、高知の景観が大きく根幹から変貌するように思います。  高知には、世界に誇る「牧野植物園」があります。この牧野植物園の思想と心を地域づくりに生かして、高知市あるいは高知県を「植物園シティ」あるいは「植物園カントリー」にするという運動はできないでしょうか。  「浦戸湾の自然を未来に残す」運動があることも知りました。緑と水と空気、そして太陽を財産に、高知の歴史と文化という無形の資産を生かす。一方で無形の資産である情報もITビジネスで活用しながら、“人間が生きる町”を創ることはできないでしょうか。

以上

知的財産立県の提唱(2009.1.16 高知新聞「所感雑感」掲載)

IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

 今、知的財産の確立と活用が日本の国家戦略である。  2002年の「知的財産戦略大網」は知的財産立国の実現を提示。これを受け、翌年には知的財産基本法が施行されるとともに、知的財産戦略本部(本部長は内閣総理大臣、本部員は各国務大臣)が設置された。さらに04年からは毎年「知的財産推進計画」が同戦略本部から発表されている。  つまり、日本の国家戦略は02年から大きく転換。多くの分野で知的財産が時代のキーワードになっている。  知的財産とは、発明や考案のほか意匠、著作物といったイメージが一般的には強い。しかしそれ以外にもマンガや音楽、アニメ、映画などのコンテンツ、ブランド、ファッション、食、花や農作物の新品種、工業デザイン、伝統文化などが含まれる。  私は国の知的財産立国を受けて、高知県で「知的財産立県」の構想を提唱したい。なぜなら、高知の“知”は知的財産の“知”であり、高知県には豊かな風土と歴史、文化があるからである。  昨年10月、土佐高31回生の同窓会があり、前夜祭が桂浜で開かれた。桂浜は高知県人にとって、心のふるさとである。南国の太陽と海があり、美しい砂浜があり、太平洋を望む本山白雲制作の坂本龍馬像がある。さらには桂浜水族館や坂本龍馬記念館と、まさに知的財産の宝庫である。  たまたま友人の関係を通じて、地元婦人会の方々に新鮮な魚を使った手作り料理でもてなしていただいた。婦人会で結成した「花子一座」の出し物も楽しかった。  人をもてなそうとする地元のご婦人たち。その温かい心遣いに涙しながら、「知的財産立県」は桂浜を核にして、県全体に広がっていくのが自然ではないかと考えた。  インターネットで高知県のホームページを見ると、昨年11月の「産業振興計画中間取りまとめ(個表)・観光分野」で、「2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』を契機とした観光戦略の展開」が取り上げられていた。そうであれば、同年を契機に「知的財産立県」を打ち出し、高知県知的財産推進計画をまとめるというのはどうだろうか。  「龍馬伝」の放送に伴い、大河ドラマ館の建設も考えられている。このドラマは「名も無き若者が世界を動かす『龍』へと成長していく姿を、壮大なスケールで描く青春群像劇」(NHKドラマホームページより)であることを考えると、大河ドラマ館建設は桂浜以外にはないと思われる。  もし複数の施設を考えるなら、桂浜から高知駅に抜ける南北ルートを今後の観光戦略の基本軸にすることもよいのではないか。途中には、抜群の知名度を持つ播磨屋橋(現在のコンクリート製の橋は何とかならないものか?)もあり、播磨屋橋を起点に南北、東西の観光ルートが出来ると観光戦略が立体化する。  知的財産は人間の創造的活動、つまり頭脳から生まれる。高知の“知”を知的財産の“知”とするためには、高知県が日本の頭脳センターにならなければならない。さらに、知的財産は心の作用でもあることを考えると、高知県を日本のハートセンターにするという発想も必要でないかと考える。

以上

高知県産業振興計画へのコメント

桂浜水族館館長永国雅彦

 (棚野正士注記:高知市桂浜の象徴的な存在である桂浜水族館永国雅彦館長が、2009年1月、高知県産業振興計画について意見を提出している。地元有力者の意見だけに説得力をもっており、地域振興政策に関する優れた提案と考え、本人の了承を得て掲載する。)

本県は今こそ独立県なる思想をもって他県と差別化された独自の特色ある基本行政を立てるべきである。 本県には独自の風土、文化があり知的財産立県として四国はもとより日本で先駆けて新しい歩みをすればよい。 産振の分野、方策はいろいろと考えられるが本県にとって観光部門こそ、その目的達成に現実味があり最も力点を置くべきである。 産振の目的に反するように見えるが「自給自足のシステム、リズム」これこそが本県の望ましい姿と提案したい。 自らの手で作り、自らの力で生活するこの充実感こそが知的財産の基にかつまた観光産業の資源となる。

「地域の自然、歴史、文化などを活かした県民参加による体験型観光資源の発掘と磨け上げの推進」へのコメント

「よさこい節」観光の復活と磨け上げ。を提唱したい。

「土佐の高知のハリマヤ橋でーーーヨサコイ ヨサコイ」

ヨサコイ節こそ土佐観光の原点であり、この文化的大遺産はよさこい祭りをはじめ多岐分野に波及効果を及ぼしている。

*ハリマヤ橋の再構築 土佐路への観光客で失望を与えるのは現在のハリマヤ橋が筆頭であろう。 改築はされてきたが結果的にはその意義や文化的価値観が全く活かされてなく、むしろ昔のほうが良かったとの声が多い。 ハリマヤ橋こそ土佐観光財産の最たるものであろう。 ハリマヤ橋のコーナに立てば土佐の風土気風(よさこい節ムード)が一気に味わえるようなロケイション(景観)を理想とした再構築が高知振興の切り札である。 このカードをもって緒観光策に波及さしていくべきである。

再構築案として

  1. ハリマヤ橋そのものを浮き立つ、風流型に改築(化粧直し含む)する。
  2. 元西武空き地の観光会館又は観光空間としての利用(交通基点も含む)
  3. 銀行建物の上記目的利用(移転、銀行は高知観光シンボルではない)
  4. 周辺店舗、事務所の化粧直し(色調統一など)
  5. 堀川の再整備(ハリマヤ橋付近の川水の存在感)

*ハリマヤ橋を軸にした「東西南北」ラインの構築 ハリマヤ橋を基点として東西、南北ラインの観光体制(ルート、施設、アクセス、サービス)を充実する 東西はさておき南北ラインとして(イオン)−高知駅―ハリマヤ橋―浦戸湾周辺―桂浜ルートが潜在する。ハリマヤ橋を基点に浦戸湾の観光復活と桂浜、種崎いわゆる吾南地区観光ルートの構築を推進すべきである。

「みませ(御畳瀬) 見せましょ 浦戸を明けて月の名所は桂浜 ヨサコイヨサコイ」

浦戸湾界隈の紹介句であるが特に桂浜は周知の名所である。 その景観は依然昔日の面影を残し南国的な海、松林、白浜、そして空気などの調和風景は龍馬と併せて今後の体験型観光としてこれ以上の適切な場所はないように思う。 桂浜については昨今いろいろと話題になっているが観光資源として十二分の価値がありその魅力や価値を時代に合った形に磨き上げ提供(構築)することにより観光振興が加速される。 高知市の桂浜公園振興策は過去数回纏め上げられてきたにもかかわらずほとんどのものは不履行で、またお客様サービスの運用面でも20数年来昔のままのものが多い。 新しい形のサービスやこまやかなおもてなし諸策(施設、運用)がこれから不可欠である。 具体策の一例をあげれば

  • 桂浜全体の活用、(竜宮様、灯台、龍馬像、浦戸城跡、桂月をはじめとする文化史跡を多角的に観賞(鑑賞)できるレイアウト)
  • 公園内でのアクセス対応(障害者対応、散策ルート、周遊運輸、繁忙期の交通渋滞、わかりやすい親切な案内掲示板、など)
  • サービス施設の充実(子どもたちの教育的マリン遊戯場、道の駅、客層別宿泊所など)
桂浜公園は高知市の管理管轄下にあり近年のその観光行政につては積極性に欠けるものを感じてきたが今こそ心機一転、市民、地域人一体感を土台に桂浜再振興を率先リードされることを熱望します。また高知県におかれても他人事ではなく県振興の一環としてご協力、ご指導を期待します。

「言うたちいかんちや、おらんくの池にゃ、潮吹くクジラ(魚)が泳ぎよる、ヨサコイヨサコイ」

土佐人気風の南国、豪気、酒 を象徴するのにクジラはカツオに匹敵する格好の動物である。 クジラウオッチングが各地で盛んになりつつあることは喜ばしいかぎりである。 この事象に乗っかるわけではないがウオッチングと併行して浦戸湾を拠点とする世界に冠たる天然型マリンアミューズメントの展開を将来ビジョンとして取り入れる。 浦戸湾は昔日の姿を取り戻せば湾全体がすばらしい観光地となる条件を備えている。 高知県の取っておきの観光地として絶対に活かすべきである。 現状は水質(透明度)や景観の不統一などに難点あり改善規模は大型公共的なものになるが高知新港などより公益的(知的価値感、エコ意識)でまた経済効果(観光)も不朽である。 これからの方向や価値観を先取りした 環境、低炭素、リサイクル技術を駆使した省資源型の美しい湾を売り物にすべきである。地域活性化プロジェクト(国家予算)として是非取り上げて欲しい。

改築の要点は

  • 浦戸湾美化そのものを観光対象にする。(景観、環境技術を売り物)
  • 浦戸湾に隣接する堀や川を浄水し観光目的に供する(備考**を参照方)
  • 浦戸湾美化条例の制定
  • 山崎圭二や浦戸湾を美しくする会(既存)の思想を尊敬し水質浄化、景観改善に徹底した取り組みを行い世界に冠たる自然的かつ近代(人工、)的な湾とする。
  • 浦戸湾をマリンレジャーゾーンとして構築しハリマヤ橋―桂浜への観光海上交通路を作る。(船便、水上バス、鉄道)
  • きれいな、静かな、流れのある、鏡川はじめ幾つかの河川と合流する汽水域を活かし海面及び沿岸には必要なマリン施設を置く(漁業権には触れない範囲) (帆掛け舟、風流舟、釣り、舟競争、ボート、館舟、花火、水上野外演舞場、 いかだ館のホテル、飲食店。潜水艇。ハンググライダー、その他マリン娯楽施設)
  • シンボル的にはクジラ類を浦戸湾の延長沖合いで飼育(ふれあい、心療) その規模は県民のみならず国民対象のレジャーランドを目指す。

備考** ハリマヤ橋に近い高層ビルから眺めた風景(鏡川、橋、筆山、浦戸湾、周辺の建物の調和)は東西いずれも何時見ても美しくもあり心の安らぎを覚える。 壮大感はないが土佐の高知を醸し出す雰囲気を感じるからだろうか。 川、橋はキーポイントである。 かつては高知城を中心にして掘りなどの水路が張り巡らされていたらしい。 近代化の波にこれらは埋め立てられ生き残りの堀や川も昔日の面影や生気を失っている。 浦戸湾には鏡川はじめ多くの川、堀が入り込んでいる。 浦戸湾プロジェクトにはこれら堀川の改善が前提条件にもなる。

観光誘致で必要条件のひとつは勿論「美しい」ことである。 高知市街で汚い、醜いものの代表は澱んだ堀、川の水である。 堀川を活かすには水質と水の流れである。澱んだ水は水とはいえない。 観光事業としてはもとより環境、公共事業として最も取り残された所と思う。 乏しい財政であるが今後公共事業は道路、建物よりも環境対応(下水、リサイクル、省エネ)に最重点を置いて将来の高知県を築くべきである。

以上

コメント

棚野正士 wrote:
パチンコ屋になったはりまや橋

IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

2009年11月20日付け高知新聞は「高知西武百貨店跡地 パチンコ屋か 不動産会社に転売」という見出しで、高知市中心地の東西南北の幹線が交わるはりまや橋の4000平方メートルの空き地の利用を報じて、市民の議論を呼んでいた。しかし、2011年11月現地を訪れたところ、すでにパチンコ屋になっていた。4000平方メートルの空き地に6階のビルが建ち、1階がパチンコ屋、2階から6階までが駐車場という構造である。1階を見学するとすざましい騒音である。
よさこい節に名高いはりまや橋の角地がパチンコ屋になるのは、東京銀座4丁目の三越百貨店がパチンコ屋になることである。
現地を見て、地域の誇りを失った高知市はすでに魂を捨てたような気がした。

2011-12-13 17:36:33
棚野正士 wrote:
意見書
 
平成22年2月12日

高知県文化生活部私学・大学支援課御中
「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会報告書(案)」について

101−0047 東京都千代田区内神田2−2−6 田中ビル6F

IT企業法務研究所
代表研究員 棚野正士(たなの まさし)

電話 03−5207−5102、090−7941−8876
Eメール tanano@lait.jp

意 見

「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会報告書(案)」の「4高知短期大学のあり方について」に関して、次の通り意見を申し述べます。
 
報告書は高知短期大学について、「高知短期大学は、昭和28年に「勤労者のための大学」を基本理念として開校した」と述べ、「高知短期大学での学習ニーズは、設立当初の「働きながら学ぶ」から「4年制大学へのステップ」や「生涯学習」にも広がってきている。」と記しています。

確かに高知短期大学は“働きながら学ぶ勤労者のための夜間大学”として、大きな実績を重ねてきたと深く敬意を表します。

しかし今、高知短期大学の基本理念を「勤労者が学ぶための大学」という“守勢的な姿勢”から「勤労者の経験と頭脳を活用して地域戦略を研究する大学」という“攻撃的な姿勢”に転換することはできないでしょうか。勤労者のための大学ではなく、勤労者の“知的パワー”を活用した地域戦略研究のための大学と考えることはいかがでしょうか。

国の知的財産戦略本部「知的財産推進計画2009」(2009.6.4発行)は、「?重点的に講ずべき施策 1(2)?「地域における産学官の共同研究開発を加速する」(6ページ)で、次の通り述べています。

“地域の特色をいかした産学官共同研究を加速し、研究成果の地域企業への展開を図るため、2009年度から、地域における産官学共同研究拠点の整備等を行う。”

上記・国の知的財産推進計画を受けて、高知短期大学の基本理念を学術的アカデミズムから戦略的アカデミズムに方向転換をするといかがかと考えます。
すなわち、「勤労者が学ぶ大学」から「勤労者が教え勤労者が学ぶ大学」に性格を発展させて、教える側と学ぶ側の共同研究で、地域文化政策、地域経済戦略を構築することはできないかと考えます。
高知の“知”が生み出す地域戦略の日本モデルを高知短期大学が創出することはできないでしょうか。

端的に言えば、高知短期大学を国が重点施策として提言する「産学官共同研究拠点」として位置づけるという発想です。
そのためには、“県立で2年の夜間制”という要素は大切です。教員も勤労者を活用して、新たな理念に基づく時代を先取りする県立の独立的な大学として、わが愛する高知県が再構築して欲しいと念願します。

以上について、何卒ご理解を頂きご検討下さいますようお願いを申し上げます。       
以 上

2010-02-12 15:26:45
吉野保徳・ wrote:
         意 見 書
 高知市長殿

 高知市市民意見提出(パブリック・コメント)制度実施要領第6条の規定により、公表された計画等の案について意見書を提出します。
               
平成21年5月20日
意見書提出者 吉野保徳 (よしの・やすのり)

1.意見書を提出する対象となる公表された計画等の案
「高知市景観計画」及び「高知市景観条例」の概要について

2.意見の趣旨
 高知市の「都市美条例」(平成8年)においても既に文化(含歴史)と自然が並列的な目的とされ、今回の「景観計画」及び「景観条例」の策定につながったようですが、やはり「景観」という観点からは、自然(みどり)という面に重点がおかれがちであると考えます。
 この意見書では、あえて土佐人の先見性という文化の面にスポットライトをあて、最後に私の個人的構想である「環浦戸湾観光構想」について簡単にふれてみたいと思います。

(1)坂本龍馬の位置付け
明年のNHKのドラマを起爆剤として高知観光ブームを招来すべく、龍馬会館の建設計画があると承っております。
 龍馬が倒幕後の政府構想を具体化した「船中八策」には、「上下議政局を設け万機宜しく公議に決すべし」という条項があり、「五箇条の御誓文」を経て、板垣退助、後藤象二郎等の「民選議院設立建白書」に実を結ぶのです。幕末にして、既に立憲民主主義を構想した先見性に着目していただきたいと思います。

(2)自由民権記念館について
「自由は土佐の山間より」と刻まれた自由民権記念館には、数多くの土佐出身民権家の資料が蔵されていますが、ここでは中江兆民と植木枝盛に注目したいとおもいます。
 中江兆民は、フランス留学から帰国後、ルソーの「社会契約論」を翻訳した「民約訳解」を著わし、「東洋自由新聞」を発刊して、自由民権の代表的思想家となりました。
 先に述べた「民選議院設立の建白書」の提出後、板垣は、後藤象二郎・片岡健吉等と共に自由党を結成するのですが、若くしてその幹部となったのが植木枝盛でした。国会開設運動の高まりとともに、数々の「私擬憲法案」が発表されました。枝盛の「東洋大日本国国憲按」には、中江兆民の広めた「社会契約論」をベースにして、政府が人民の自由権利を侵した場合には、人民の側から契約を解消し、該政府を覆滅して新政府を建設することができるとの条項があります。
 130年近く前に、人民の抵抗権ないし革命権を憲法草案に盛り込んだ枝盛の先見性に敬意を表すると共に、つとにその基盤となった「社会契約論」を紹介した中江兆民の先駆者としての業績にも驚嘆の念を禁じ得ません。少し解説が長くなりましたが、以上の理由から自由民権記念館を県内外の人達に紹介し、観光ルートに加えることを提案いたします。

(3)牧野植物園について
 牧野富太郎もまた先見の人、反骨の人であります。学校制度がまだ確立していなかった時代の話ではありますが、富太郎が学校というものに通ったのは、1872年に名教館に入り、これが小学校となって1875年に中退するまでのわずか4年間だけなのです。その後は、自由民権運動を唱え、学術の研究を進めた、「同盟会」「公正社」「佐川学術会」に参加し、自らその指導者として大いに活躍をしております。
 上京して東京帝国大学理学部に講師として出入りしていたものの、その学歴の故に、理学博士号を得たのは、齢66歳の時でした。しかし山野を渉猟して植物を精確に観察し、写生するという現物に忠実な研究態度は90余年の生涯を通じて終始一貫したものであったと言えましょう。
 また富太郎は、1889年に当時の青少年の気風を心配して、理学会をつくり理科学教育の振興に尽くしております。昨今、理科学教育振興の必要性が声高に叫ばれていますが、その先見の明にはただただ脱帽のほかありません。

(4)結び
 冒頭にもお断り申し上げましたようにこの意見書は、文化と自然を生かした景観づくりの中から、自然の面はそれぞれの運動グループの提案にまかせ、あえて文化の面での掘り下げを試み、先見性、先進性をテーマとしてうちだせないものかと考えたものです。主として展示内容への反映が期待できるのではないかと考えます。
(5)最後に環浦戸湾観光構想について、簡単にふれておきたいと思います。
         高知駅(森の中の高知駅)
             |
             |
自由民権記念館 ―― はりまや橋
             |
            / \
          /     \
        /         \
       |     浦     |
       |     戸     牧野植物園
       |     湾     |牧野記念館
       |           |
  坂本龍馬像、会館         |
      桂浜――――――――――――――――――――――高知龍馬空港
            種崎

 浦戸湾のまわりを周回する道路整備をいっそう充実すると共に、これらの観光スポットをめぐるオン・デマンドバスを走らせ、湾内をめぐる巡航船を復活させるなど、点から線へ、線から面へと発展する観光が目指せないものかと考えます。

以 上

(注)吉野保徳略歴:
   高知県佐川町出身
   佐川小学校、土佐中学校・高校を経て東京大学法学部卒
   新日本製鉄にて主として海外関係業務に従事
   同社より出向にて原子力を中心とするエネルギー政策研究や室蘭市(北海道)のまちづくりマスタープラン作成等に従事

2010-01-11 14:32:43
棚野正士 wrote:
参 考 2(記:棚野正士)

“新高梨の精”と称する新潟美人(と思われる)からメールが届いた。それは「地域の疲弊“高知市播磨屋橋の場合”」を読んだ感想だった。次の様な主旨であった。

「随分前ですが、仕事で高知へ行く機会がありました。高知に来たからには、はりまや橋を見学しなくては。と高知の播磨屋橋に行きました。ペギー葉山さんの歌う「よさこい節」のせいで、私にとってはりまや橋は印象深く、歌から勝手に橋を想像し、一種の憧れを抱いていました。で、実際に、これが「はりまや橋よ。」と言われた時、え、これが。まさか。と言うのが正直な感想でした。ペギー葉山さんの歌にある“はりまや橋”を聴いてイメージが膨らんでいたので、失望したのです。
はりまや橋のある播磨屋橋地区は東京の銀座四丁目に相当するそうですね。そのような所に、ぱちんこ屋を中心とする複合ビルが建てられるとは信じられません。“はりまや橋”は高知だけのものではなく、今では日本の財産になっているのではないでしょうか。その日本の心のような場所に変なものが出来たら、それぞれの心の中にある高知のはりまや橋のイメージは、すっ飛んでしまいます。例えば東京の銀座は、東京の人だけの場所ではなく、日本人の多くがそれぞれ夢を見、夢を託せる場所です。銀座は永い歴史と伝統を踏まえ、人々の心が、知恵が、築きあげて来た場所です。その銀座4丁目の交差点の角にある銀座三越や和光が遊技場になったらと思うだけで、気分が悪くなります。そんなことはその地域の人たちや、全国にいる銀座を愛する人たちが許さないでしょうし、銀座というブランドはどうなるでしょうか。
 その、東京の銀座にも匹敵すると言われる播磨屋橋の西武百貨店跡に、高知市銀座に相応しくないと思われる店ができるのですか。高知市や高知県は今まで、何をしていたのか!と思います。

播磨屋橋の問題は、日本の地域疲弊の一つの例かもしれません。新潟県にも同じ様なことがたくさん起こっていると思います。しかし、高知は日本の維新革命を引き起こした土地です。自由民権運動を興した土地です。この播磨屋橋事件を問題にし、運動を起し、盛り上げて行こうとは、さすが土佐人!地域振興の平成革命を高知から興してください。新高梨のご縁で新潟県人として高知県を応援します。

坊さんに許されるのは、かんざしを買うまで。ばちんこなんかしたら高知もおしまいぞね。」
新高梨の精より

2009-12-17 14:59:25
棚野正士 wrote:
参 考(記:棚野正士)

2009年11月28日付け高知新聞「声ひろば」に公文敏雄氏が「高知駅前開発も心配」という題で貴重な意見を書いている。「地域の疲弊(高知市播磨屋橋の場合)」に関連して、本人の許諾を得て高知新聞「声ひろば」から転載する。

高知駅前開発も心配
公文敏雄(68 団体役員)(東京都中野区中央=高知市出身)

 11月23日付高新の声ひろば欄に「高知はおしまいか」と題して、「高知市の文化戦略、観光戦略の中心点となるべき播磨屋橋交差点の一角がパチンコ屋になると、高知はもはや“おしまい”」との投書があった。同感である。
 しかし、問題は播磨屋橋だけだろうか。帰省するたびに思うのだが、高知のもう一つの顔である高知駅周辺再開発の先行きも案じられる。駅近くは既にドラッグストア、コンビニ、喫茶店などが軒を連ね,電器店も完成間近である。
 コンクリートで地面を覆い、構造物が威容を競う大都会もどきの景観を見るにつけ、当初の目的であった「自然が実感できる魅力的な」空間、「住む人が親しみ、訪れる人が魅力を感じる交流の場」(平成14年に作られた「基本計画」や20年の「まちづくり協定書」による)から、遠ざかりつつある感を否めない。
 「はりまや橋周辺活性化協議会」が、西武跡地に例えばマンガロードを一案として「観光や地産外消、土佐文化発信の拠点」にしようと提案しているように(11月6日付高新)、高知の活性化のためには、乏しいお金を地域内でやりとりし、まして県外に流すのではなく、県外の方々にもお金を使ってもらう(外貨を稼ぐ)仕掛けが肝要なはずである。
 天を覆う南国らしい緑の陰に観光客が集まる日曜市のにぎわいなどは、身近なお手本ではないだろうか。

(注)筆者・公文敏雄氏は土佐高同級生・中田昌志氏等と共に、ボランティアグループを結成し、「森の中の高知駅」をつくる活動をしている。公文氏、中田氏達は「森の中の高知駅」を提案したチラシを月一回市内で配り、葛岡睦男氏作詩・作曲の応援歌「森を泳ぐくじらー木を植えよう」による街頭ライブを行い、更にはハッピやTシャツまでつくり活動を市民にPRしている。
 又、高知県知事、高知市長、県議会、市議会等々に要望書を提出し、積極的な運動を続けており、市民からも支持を受け関係者から注目されている。以上

2009-12-16 00:37:23

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