実演家の人格権創設(「文化庁月報」2002.8号掲載)

棚野正士備忘録

棚野正士(研究ノート)

(注:本稿は「日本芸能実演家団体協議会(芸団協)元専務理事」という立場で、2002年に「文化庁月報」に執筆したものである。現在、実演家の経済的権利はさまざまな視点で論じられているが、人格的側面からは議論が不十分であるように思われる。その意味で2002年の法改正を改めて振り返りたい。
又、このときの法改正運動の方式は、実演家の運動の転機となったものである。今後の運動を考える意味でも改めて見ておきたい。)

35年前の俳優達の要望

 第154回通常国会(平成14年)で著作権法改正法が成立し、実演家人格権が創設された。その内容は、「実演家」に(1)名誉・声望を害する改変をされない権利(同一性保持権)、(2)名前の表示を求める権利(氏名表示権)を付与するというものである。
 昭和43年(1968)2月16日付けで文部省(当時)文化局長宛に、芸団協は「著作権法の改正に対する意見」を提出し、“実演家の名誉・声望の保持に関する著作権法上の規定の設置”を要望している。また、現行著作権法を可決した昭和45年(1970)4月28日参議院文教委員会は、附帯決議で、「実演家の人格権の保護問題等について、早急に検討を加え、速やかに制度の改善を図ること」を課題として取り上げている。
 当時運動した俳優達の多くは既にいないが、情報のデジタル化、ネットワーク化の時代に関係団体の特段の理解と協力の下に、35年振りに人格権について法秩序が形成できたことは法制史の上で記念碑的なことである。一つの運動は一つの世代で完成するとは限らなく、去って行った人たちの意思も引継いで仕上げていくものの様に思う。

2つの条約とWIPO外交会議

 著作権法の実演家の権利は、「実演家等保護条約」(実演家、レコード製作者及び放送機関の保護に関する国際条約。昭和36年(1961)作成)をモデルにしているが、この条約では人格権は定めていない。しかし、平成8年(1996)に作成された「実演及びレコードに関する世界知的所有権機関(WIPO)条約」では、生の聴覚的実演とレコードに固定された実演に関して同一性保持権と氏名表示権が認められている(音の実演について人格権を認めたが、映像に関する実演については人格権を認めていない)。
 映像の実演に関する実演家の保護についての条約は、平成12年(2000)12月のWIPO外交会議で検討されたが、結果としては、アメリカとEUの対立のため条約は作成されなかった。しかし、一つの成果があった。それは、検討した20条項の内、19の条項について暫定的な合意が得られたことであり、この中には実演家の人格権が含まれている。
 今回の第154回通常国会では、「実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約」の締結が承認され、そのため条約に合わせて国内法を整備し、音の実演についての人格権が創設されることになっていたが、平成12年(2000)年のWIPO外交会議の暫定合意を受けて、映像の実演を区別することなく、実演全体を対象とすることになった。
 一昨年12月のジュネーブの外交会議では、19条項で合意し、あと1条項、しかも最後の1語まで煮詰めながら、ついには条約としては成立しなかった無念さが実演家側には残ったが、暫定合意を生かした今回の国内法改正は、実演家にとっては「ジュネーブの敵を江戸で討つ」という感がある。

団体間の協議で条約に先行して法秩序を形成

 自然人の基本的権利ともいうべき実演家の人格権の対象を、「音の実演」と「映像の実演」で差別を設けることの合理性はなく、もし「音の実演」のみ人格権を認めた場合、日本は条約加入のためやむなく人格権を認めたと解されるおそれもあったが、積極的姿勢で実演全体を対象にしたのは、日本の著作権的文化度の高さを示すものであると言える。
 実務的には法秩序のための関係団体の積極的努力があった。従来、実演家の運動は政府に対して「陳情」する形を取り、NGOとして自ら行動する方式には消極的であった。しかし、今回の著作権法改正は、実演家にとって運動方式の転機となった。最初から関係団体と協議し、問題点を提起し、意見調整をし解決法を探ったからである。相互の信頼関係を保ちながら、日本の文化芸術産業の振興を共通基盤とし、利害を超えて国民的視点から法秩序の形成を図る今回の方式は、これからの運動に大きな成果をもたらすと信じる。実演家人格権創設は、政府の著作権担当部門の制作・演出、NGO主演によって仕上がったと言えよう。

実演家人格権の運用に関する基本的な考え方

 人格権創設に関する関係団体との協議は、芸団協としてはCPRA(実演家著作隣接権センター)法制部会が行った。全体で14団体との協議の中で、CPRA法制部会は人格権の運用に関して、次のような基本的考え方を示している。

  • 実演家にとって権利の保護と実演の公正な利用は共に重要なテーマであり、実演家人格権の創設によって実演の公正な利用が妨げられることはない考える。実演家の人格権に関しては、実演家の立場、製作者の立場、利用者の立場は基本的に同じであり、実演家の人格権が侵害されるときは、同時に著作者の権利、製作者の権利が侵害される。
  • これまで蓄積・形成されてきたレコード、映画の著作物における公正な実演家の氏名表示の慣行や著作者による編集等の実演の改変については実演家の人格権侵害の問題は生じなく、実演家に人格権が付与されることによりレコード、映画の著作物の著作者や製作者による実演の利用が妨げられることはないと考える。
  • 実演家の人格権に関しては、文化的所産の公正な利用の障害になったり、機器、技術の進展を阻害することはないと判断する。

以上

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