2015年の悲しみ ―俳優・元芸団協副会長小泉 博の死去―

棚野正士備忘録

棚野正士(IT企業法務研究所、元芸団協役員)

 日本芸能実演家団体協議会(芸団協)元副会長・俳優小泉博さんが今年2015年5月31日亡くなった。
 スター俳優小泉さんは、1979年に芸団協理事に就任、その後常任理事、専務理事、副会長、顧問を務め2001年に退任した。この間文化庁著作権審議会委員など公的立場、日本俳優連合役員などを務め実演家団体にとってはなくてはならない人で、芸団協中村歌右衛門会長、創立者久松保夫初代専務理事が最も信頼している俳優であった。
 小泉さんは大正、昭和前期の大政治家、大実業家小泉三申(小泉策太郎)の八男(七男は日本画家小泉淳作)で反骨の紳士であった。
 ご遺族からの挨拶状には、「父 小泉汪(注:ひろし)が去る五月三十一日永眠いたしました。(略)五月七日に緊急入院し、そのまま帰らぬ人となりました。大好きな父は、穏やかな顔で天国に行きました。(略)葬儀や父を偲んでの集まり、御供え等、すべて辞退させていただきたいとの希望により、皆様にお知らせすることも控えさせていただいたことをお詫びいたします。(以下、略)」と書いてあった。
 小泉さんは多くの論考を書いて後世に遺産を残しているが、一遍だけ以下に転載する。今、取り組むべき大きな課題が示唆されていると思うからである。

芸術文化振興に意欲を見せる韓国 ―ワークショップに参加して―

小泉 博(芸団協専務理事)

(機関紙「芸団協」1991.10.10号から転載)

 十年前、ユネスコの「芸術家の地位に関する勧告」(注:1980年)が発表された時、当然芸団協はその重要性に着目し、政府のユネスコ担当官に日本の対応を聞くため懇談を申し入れた。然し当時は冷戦構造の真只中にあり、ユネスコ自体の主導権をめぐるあつれきなどが取沙汰されているためか、「日本としては国会に報告するが、政策は既にその趣旨に添った方向で進められているので、特に新しい対応を考えていない」とのそっけなさに、すっかり気分をはぐかされた経緯がある。勧告はその後忘れ去られたかに見えたが近年再浮上の動きはおおいに歓迎したい。
 それには「1990年代を世界の文化的発展のための十年に」という国連宣言を機に、FIA(国際俳優連合)が特にパフォーミング芸術に関する国際セミナーを、昨年(注:1990年)リスボンで開き注目を集めたのがきっかけとなったようである。今回韓国で開かれたワークショップはその成功を受けた形で、FIAの支援の下に韓国ユネスコ委員会が主催したもので、FIAの尽力はひとかたならぬものがあったと思う。
 私は日本の実演家代表として招かれたが、初日は折悪しく文化庁の委員会と重なり、二日目の午後からの参加となった。その為日本のカントリーレポートは文化庁の高橋寛氏が初日に発表し、私は芸団協という組織のPRだけに終わったが、FIM(国際音楽家連合)からオブザーバーとして出席した松本伸二常任理事が、日本における芸術家の社会保障について問題点を英語で発表し、報告に厚みを加えてくれた。
 この会合は十五ヵ国に及ぶアジア地区を中心とした芸能実演家が集まって情報交換が出来た点に最大の意義があったと思うが、日本のこの十年間の文化政策上の成果はやはり注目を浴び多くの賛辞が聞かれた。それだけにアジアでの芸術芸能の交流には、もっと積極的に貢献しなければという反省も生まれる。その点韓国の芸術文化振興への意気込みには圧倒される。大統領夫人の昼食会や芸術芸能関係の事務所を集めた芸術会館もさることながら、南ソウルの約七万坪に及ぶ広大な山すそ一帯に、建築技術と科学の粋を集めて建築されているオペラハウスやコンサートホール、美術館、芸術図書館などを包含するアートセンターには、アジアにおける芸術文化の拠点たらんとする国を挙げての意欲が感じられ、どぎもをぬかれる思いだった。

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