第一章―アジアの音楽史「江戸歌舞伎はチンギスハーンがいなかったら誕生しなかった!?という物語」 その4

大野遼のアジアの眼

NPOユーラシアンクラブ 会長 大野 遼

【「常識」「当たり前」の歪み】

―インド系「螺鈿紫檀五弦琵琶」は「琵琶」ではない。ペルシャ系「曲項四弦琵琶」が「琵琶」―  【アジアの眼】と題した第一章のこの一文は、アジアの音楽史の中に日本を位置づける試みである。その日本におけるキーパースンとして澤住検校を挙げた。3号では、その弟子薩摩浄運(江戸浄瑠璃の祖)が猿若勘三郎と出会ったであろう「中橋南地」を取り上げ、日本橋がアジアの音楽のシルクロードの終着駅であることを強調した。  今回は、澤住検校の掌で,「琵琶」から「三弦」へと交錯した二つの楽器について、まず気になる「常識」「当たり前」について取り上げる。  私はかつてあるメディアの奈良支局に勤めた事があり、秋になると正倉院展で紹介される宝物の解説をニュースとして出稿していた。精巧に加工されたさまざまな1200年前の収蔵品のうち「螺鈿紫檀五弦琵琶」は写真映えもよく、正倉院展で最も目を引く出品物の一つだった。私が縁あって、日本をアジアの一部として見る活動を始め、ユーラシアンクラブを創設、アジア理解の手法の一つとしてアジアの音楽を紹介し、数年を経た頃、日本的ローカルな楽器と受け止められている三味線や琵琶が気になりだした。

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正倉院の 螺鈿紫檀五弦琵琶

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インド・アジャンター壁画の五弦琵琶

 澤住検校が、三絃に持ち替える前に弾いていた琵琶は「曲項四弦琵琶」。  しかし琵琶に「曲項」「四弦」「直項」「五弦」−の琵琶の種別があることは、伝統音楽に関わる人でなければあまり気にかけることはないだろう。少し古代文化に興味のある人は上記正倉院展で鮮やかな螺鈿装飾が施された「五弦琵琶」が「琵琶」だという印象さえお持ちかもしれない。それは違う。  奈良時代に聖武天皇、光明皇后の遺品を収めた正倉院北倉に保管されているのが、「螺鈿紫檀五弦琵琶」。世界で唯一現存の1300年前の楽器である。実は、ほかに「四弦琵琶」が5面保管されているのだ。さらに「螺鈿紫檀五弦琵琶」の胴部装飾には、螺鈿で、ラクダに乗った「曲項四弦琵琶」が描かれているが、この二種の楽器は音楽史の中で出自を異にする。「五弦琵琶」なのに「四弦琵琶」が装飾として描かれている?!これをどう考えたらよいのか?

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→胴部の構図曲項四弦琵琶

 詳しいことは省くが「五弦琵琶」はインド起源とされている。古代シルクロード音楽の専門家故岸辺成雄は、西域クチャのキジル千仏洞、インドのアジャンター寺院の資料などを基にこれを裏付け、「正倉院五弦琵琶の源泉は、古代インドに求めることができる」と結論づけた。5世紀以前に遡る。西域の仏教壁画に描かれているほか、中国では、五弦琵琶には白居易(白楽天)の詩「五弦彈」がある。「第一第二の弦は索索 秋風松を払い手踈韻落つ 第三第四の弦は冷冷   夜鶴 子を憶いて籠中に鳴く 第五の弦声は最も掩抑す 隴水凍咽して流れ得ず 五弦並び奏す 君 試みに聴け 凄凄 切切 復た錚錚(一、二絃目は人を不安にさせ、 三、四絃目は心を清め、 五絃目は最も控えめな音を出す。(そろって演奏されると)悲しく身にしみる)・・・」(白居易)白居易には「胡旋女」という西域の舞姫を詠んだ詩もあるなど音楽芸能に深い興味を抱いていた。勝手な想像によれば白居易は五絃琵琶を嗜んだのかも知れない。

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中国・隋唐代に人気の曲項四弦琵琶

 一方この白居易には、「船中にて夜 琵琶を彈く者あるを聞く」「今夜 君の 琵琶の語を 聞くに,仙樂を 聽くが如く  耳 暫く 明たり。辭する 莫れ  更に坐して 一曲を彈け,君が爲に 翻して琵琶行を 作らん・・・」として作った長編の詩「琵琶行」があり、「長恨歌」で知られる白居易のこの詩は、平安寺時代に菅原道真、紫式部や清少納言が愛読したという。この「琵琶」は「曲項四弦琵琶」であった。「四弦琵琶」の出自は、この一文の2回目で紹介した「アイルタム楽人像」でも触れたペルシャ系の楽器である。  中国唐代には、琵琶にはインド系の「五弦琵琶」とペルシャ系の「四弦琵琶」の二種があり、日本の奈良時代でも踏襲され、中国だけでなく、隋唐代以降今日に至るまで日本でも「琵琶絃四條 五絃琵琶絃五條・・・](東大寺献物帳)などと区別され、「琵琶」とは「曲項四弦琵琶」であり、「五弦琵琶」のことは絶対に「琵琶」とは書かず、「五弦琵琶」もしくは「五弦」と書く。要するに、隋唐及び奈良時代では「曲項四弦琵琶」がポピュラーな西域の楽器で、「直項五弦琵琶」は出自のよくわからない古い楽器と受け入れられていたようである。  正倉院の「螺鈿紫檀五弦琵琶」の螺鈿の装飾でラクダに乗った「曲項四弦琵琶」の楽人が描かれているのは、隋唐代の中国で「古典的な楽器」となった「五弦琵琶」に西域の楽器として「ポピュラーな楽器」となった「四弦琵琶」が描かれているという関係として理解される。インド系とされる「五弦琵琶」に、ペルシャ系といわれる「四弦琵琶」が描かれていることについて「インドで作られた五弦の琵琶に(ペルシャ系)四弦の琵琶が構図として描かれていたらどうかということになるが、この五弦の琵琶は中国で作られ奈良にもたらされたので意匠として不思議はない」(西山厚・奈良国立博物館学芸部長)という。  琵琶は「皇帝の楽器」「天使の楽器」とも言われる。唐の玄宗皇帝や楊貴妃が歌舞音曲を好み自らも琵琶を弾き、楽部という音楽隊を設置し普及していたこと、つまり様々な楽器が「皇帝の楽器:琵琶」の周りで演奏されていたことと関わる。これは奈良時代の大和朝廷にも伝わり、七〇一年(大宝元年)、大宝律令が制定され、日本で初めての公的な音楽機関として太政官治部省に雅楽寮が置かれた。国家の儀式や大寺院の法会などで奏楽がなされるようになり、七五二年(天平勝宝四年)、奈良東大寺の大仏開眼供養が行われ、インドから来たバラモン僧菩提僊那が導師となり1万数千人の僧をしたがえた史上最大規模の大法要で、その時に使用された楽器、装束などが今正倉院に保存されている宝物である。  中国でも、日本でも今日に至るまで、「琵琶」と言えば(ペルシャ系)「曲項四弦琵琶」のことを言い、日本では、雅楽の琵琶、源氏物語の絵巻の琵琶、琵琶法師の琵琶、薩摩琵琶まで「曲項四弦琵琶」であった。中国と日本の「琵琶:曲項四弦琵琶」の違いは、中国琵琶は、唐の時代に、撥で叩く演奏が無くなり、指で弾く奏法に変わったのに対して、日本の琵琶は今日に至るまで、撥で叩く演奏法が続き、アジアで最もクラシックな楽器として通用していることである。撥で叩く奏法の起源については稿を改める。  以上、人口に膾炙しているという意味で「常識」の一つとなっている「螺鈿紫檀五弦琵琶」は「琵琶」ではないことは、日本の音楽史がアジアの音楽史の一部であることを理解する上で知っていて良いことだと思われる。「直項五弦琵琶」は中国では宋代以降、日本では平安時代以降、急速に廃れていったという特徴がある。今ではインド起源とされる「直項五弦琵琶」の起源・出自について、中国の隋唐の古文書では、出自がわからず「北国起源」(『通典』801年)かもしれないとされている。(別稿)

その5に続く

現存の中国・日本の「琵琶」の系譜は全てペルシャ系「曲項四弦琵琶」

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