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文化芸術振興の偉人―佐々木忠次さんのことー

IT企業法務研究所研究員 ベルクマン アンネ

(1986年の秋、私がアルバイトでためたお金を使ってドイツからわざわざベルギー首都のブリュッセル市まで東京バレエ団のザ・カブキ公演を見に行った時に、20年以上後にこの偉大なバレエ団を創立した佐々木忠次氏に実際にお会いができ、2006年の秋から2007年の夏まで何時間もご自分の生涯や意見を打ち明けてくれることは夢にも見なかったことです。)
芸術文化が日本政府に二の次とみなされて、政府の援助金も文化政策自体もないぐらい少ないのは事実です。1968年に創立された文化庁が文化の保存に中心を置いて、本来の文化政策が1980年代に始まってはいますが、1990年にできた芸術文化振興基金にしても、1996年のアーツプラン21、2002年にアーツプラン21の代わりに創立された新世紀アーツプラン21にしても, 2001年に議決された文化芸術振興基本法にしても、芸術文化に投資する金額が増加されても、大抵の場合は、文化の保存や文化施設に重点が置かれていて、創造力のある無名な新人が中々援助されません。外国で成果が重なってから日本でも認められるようになり、それで事情が変わって、政府の援助やバックアップを受けるようになった芸術家の例が特に演劇の場合にはいくつか上げられます。取りあえず既に成功を重なった芸術家や団体が援助を受ける傾向が日本の芸術文化振興にはあります。
が、違う分野でありますが、佐々木氏の日本のバレエ界やオペラへの貢献や成果が外国で認められています。(本人がいう仕方なくもらった)数えきれない程の外国の勲章がこの活動力を語っています。しかし、祖国の日本に公式にもらった勲章などがなくて、2006年に東京バレエ団が朝日新聞舞台芸術賞を受賞したのは初めての表彰でした。本人が受賞嫌いの人間でも、40年間で日本の音楽舞台芸術にこれだけの貢献をした方をもっと公認すべきだとしかおもいません。

佐々木氏自身がこの政府や社会の態度を次のように説明します。結局、士農工商の社会順の伝統を受け継いで芸術家を社会の外に置く傾向は未だに残っています。佐々木氏が言うように、明治時代から日本政府が今までの伝統文化を無視し、西洋文化に憧れて一生懸命この西洋芸術基準を自分の国民に被せ、強制的の様に西洋文化を追いかけようとしたのは、今の日本芸術家や文化活動家の低い社会地位の原因であるでしょう。
近年の江戸時代文化の復活やブームにも関わらず、明治維新以来の音楽教育が西洋音楽を中心した教育です。幼い頃からピアノやバレエを習うのは現在の日本社会ではごく普通なことだと佐々木氏が語っています。それでもクラシック音楽やバレエの大ファンが中々生まれません。お稽古ごと範囲ならクラシック音楽やバレエへの興味が多いです。それ以上に接することも、払える料金で子供に紹介する機会も少ないので、日本の社会に於ける教育と実際の文化活動には矛盾があります。この矛盾を取り除くように一生を捧げてきたのは、クラシック音楽、オペラ、ベレエ、演劇などの舞台芸術において、舞台監督と制作プロデュースを努めているこの佐々木忠次氏です。

子供のときから芝居、コンサート、オペラに興味を持って、お母さんの支えでお父さんの反対を押し切って日本大学芸術学部に入学し、卒業後、特に演出や公演制作の才能を生かしました。1957年のNHK開催の日本での最初のオペラ公演の制作にも関わって、西洋舞台芸術の有様、歌手との関わり方等を若いころにもう身につけました。スター歌手だけが中心になっている、指揮者や舞台監督などのスタッフを奴隷扱いする日本従来のオペラ制作を換えることを目指す当時の若い専門家、演出家、指揮者などと組んで1957年にスタッフクラブを創立して、1965年のこれの解散までいろいろなクラシック音楽の公演制作を見事に実現しました。
創立の3年後に倒産したチャイコフスキー記念バレエ学校を引き継いだのは、校長の座と地位に興味があったのでは全くなく、バレエが言葉のない舞台芸術ですので、この舞台芸術なら日本人が西洋と同じレベルに達する可能性があると佐々木氏が信じていたからです。世界中のトップクラスのバレエ団を見てきた佐々木氏は1964年に東京バレエ団を創立して、西洋バレエ団の欠点を発見し、これらの芸術や技術を超える工夫をし、白人バレエダンサーとの骨も肉も違うのに、日本人の体の美しさをコールデバレエで表現させることに成功しました。トップを目指した佐々木氏のバレエ団は当時のソビエト文化大臣により当時のバレエ天国のモスクワに 紹介されました。冷戦最中の鉄のカーテンを超えて船と列車と飛行機で三日をかけてモスカウにたどり着いた大冒険をダンサーと一緒に大胆に立ち向かって、成功で終えたのも収益や商売の為には決してできないことです。東京バレエ団の将来にかける信念しか動機になりません。西洋芸術文化を拝むのではなく、努力と勇気と辛抱をもって自分のものにして楽しむのは佐々木氏の文化活動の哲学ではないでしょうか。
第二世界大戦後の文化政策が文化財保存に集中して、1966年代にできた国立劇場が伝統芸能の為だけに建てられて、国立劇団さえ創立されませんでした。学校でドレミファソラを義務教育にした日本政府がこの西洋音楽の公演またはコンサートに力を入れないで、まだまだ江戸時代と同様に芸術文化の振興役を個人や企業やビジネスのイニシアチブに文化活動をまかしました。

ちなみに、「民間では中々手がけることができない大規模な文化施設や文化活動、文化サービスを自ら手がけることも必要である。また、教育課程についての文化的配慮、国民的な文化的祭典の開催、国際的な交流など、マクロ的な視点から活動や、長期的の将来を見通して実行すべき措置も、民間だけには期待し得ないであろう」と言うことが「文化の時代」の大平総理の政策研究会報告書1(「文化の時代」内閣官房内閣審議室分室 内閣総理大臣補佐官室、1980、51-52頁)に書かれています。その報告書が発行された時に、佐々木氏が既に10回の国際公演を日本でプロデュースして、東京バレエ団が何回も海外公演を成功的に終えました。(今は創立以来の海外公演は30カ国、計668回に達しました。現在も海外公演中です。)当時の大平総理が夢見た「文化の時代」は既に「期待し得ない」民間の努力で実現し始めました。まして報告書と逆に大規模な文化活動はいまだに民間の力に任せられています。

財団法人日本舞台芸術振興会(NBS)は1981年に、音楽・舞踊を主とする舞台芸術の普及向上を図るとともに、舞台芸術の国際交流を推進し、もって国の文化の振興と発展に寄与することを目的として設立されました。佐々木氏は大きな組織ではなく、少人数のスタッフで自分自身の責任で東京バレエ団ひいては日本バレエ界を世界のトップレベルに貢献しただけではなく、長年の交渉と努力で英国ロイヤルバレエ団、パリオペラ座バレエ団、モリース ベジャール バレエ団など世界中の西側の有名なバレエ団またはミラノ スカラ座、ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、英国ロイヤル オペラ、ベルリン国立歌劇場、ベルリン ドイツ オペラなど有名なオペラの引っ越し公演ならびに世界トップレベルの指揮者やその楽団、20世紀代表のバレエ振付家を日本に紹介しました。ベジャール、ノイマイヤー、キリアンといった現代を代表する振付家に作品を委嘱し、東京バレエ団のオリジナル作品に加えたことの上に、モリース ベジャールの全作品の上演権がモリース ベジャール バレエ団以外この東京バレエ団だけにあります。

今の日本の社会が組織と人の無責任に支配されていると佐々木氏が語っています。若い人の勇気や好奇心がお金欲しさ、いじめと暴力に変わりました。個性のない人間に創造能力があるまいと。その上、広範囲の文化政策やこれという国の援助金がないのは最大の問題ではなく、そのわずかな援助金の分配が文化芸術を良く知らない「役人」によって決定されるのは佐々木氏にとって目の上のたんこぶです。特に待ちに待った1997年にできた第二国立劇場(新国立劇場)に佐々木氏は疑問を多く持っています。それまでに本格的なオペラ公演ができる劇場が上野の文化会館やNHKホールしかありませんでした。ヨーロッパの名門劇場やその周囲の全てを知っている佐々木氏にとって、この二つの会場が町の中心からあまりにも離れすぎているから、公演後に友達同士で公演についての印象を語り合う素敵なレストランやバーが近くになくて、焼鳥屋ぐらいしかありません。(確かにそうです、上野文化会館で素晴らしいバレエ公演を見た後に友達と蕎麦屋で公演に関する意見を話し合った経験が私にもあります。そば屋に勿論つまみはない。)つまり豪華な公演をわざわざ見に来るお客さんにとって、非日常で特別な時間やその雰囲気は劇場を出た瞬間にくずれてしまうのは問題です。銀座や丸の内に歌舞伎座や東京宝塚劇場に並んで国立劇場たつべきではないでしょうか。

佐々木氏は現在新宿の繁華街の果てにある新国立劇場が計画された段階から関わっていました。ホールや会館の欠点を繰り返さないように推薦しましたが、長年の制作プロとしての意見がこの面だけではなく、結局完全に無視されてしまったので、佐々木氏が文化政策を仕切っている公務員に不満を感じ、これをはっきり発言するのも当然だと思います。中身ではなく施設を第一にする日本の文化行政には疑問を感じます。
佐々木氏本人がバレエをやって間違いだとか、長年の努力が無駄だったとかを繰り返して唱えていますが、若い時から妥協しない、最善の文化芸術だけお客さんに見てもらいたいこの完全主義者(完璧主義者?)である佐々木忠次氏は日本政府の援助なしで,却って国の出方を無視しながら、日本のバレエ界の基礎を作って音楽、オペラ、バレエでは国境を越える親友関係を設立し、日本の文化界に欠かせない偉人で、またはドイツの有名なバレエ批評家クラウス ガイテルが記述したように「バレエの魔法使い、芸術の平和大公」(Berliner Morgenpost 2005年1月12日)です。

以上

(事務局注:ベルクマン研究員はベルリン在住。原文は日本語。なお、IT企業法務研究所<LAIT>は、2008年1月22日、佐々木忠次氏(財団法人日本舞台芸術振興会<NBS>専務理事、チャイコフスキー記念東京バレエ団総監督)を講師に招いて、LAITセミナー「舞台芸術国際交流の契約交渉の真実と日本の現状」を開催した。)

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