IT企業法務研究所 創作者の地位に関する研究網

珠玉の論説

芸団協(社団法人日本芸能実演家団体協議会)野村萬会長著
「新生芸団協の基本理念―花と種」
(CPRA news 61号:2011年10月号)

2011.10.5
IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

 能楽の人間国宝野村萬氏が芸団協(社団法人日本芸能実演家団体協議会)会長として、芸団協著作隣接権センター(CPRA)会報「CPRA news vol.61,2011年10月号」に珠玉の論説を書いている。
 芸団協は日本を代表する実演芸術家の統括団体であり、2011年名簿によると、専門芸能実演家の団体等71団体を正会員として55,086名の実演芸術家等をカヴァーしている。
 芸術家野村萬氏は、今の時代にこそ実演芸術が大切であるという強い信念から渾身の思いを込めて、会長として芸団協の基本理念を語っている。
 この珠玉の論説は実演芸術家、またその組織にとって今後100年の指針になると思われる。
 野村萬会長は次の通り語っている。

“世阿弥の著「花鏡」に、「能の出でくる当座に、見・聞・心の三つあり」という言葉があり、これは芸能の真髄を的確に言い得ているものであると同時に、芸団協のあるべき姿にも敷衍することができるのではないか。さらに世阿弥は「習道書」において、座員各自の協調と調和なくしては一座の成功も繁栄も望めない、互いに譲り合い助けあう心を持って演ずることこそ肝要であり、決して自分一人の力で事をなそうなどと思ってはならない。演者のみのこととも、一座・一団体のこととも限らない。実演家・演出家・制作者など直接実演芸術の発信に関わる人々、そして、事業者など受信者(観客・聴衆等)との仲立ちを担う人々、実演芸術に携わる人々のすべてが、個々の利害を超え、「けん・もん・しん」の実演芸術の原点に経ち帰って、志高く歩みを共にし、力を結集して事に当たることこそ、時代の要請に応え、日本の実演芸術の未来を切り開く道であろう。”

“世阿弥の「風姿花伝」は「花は心、種は態(わざ)」という一文で締め括られております。芸能の大輪の花を咲かせるには、その種となる態(技)、つまり基本・礎を築き磨き続けなければなりません。芸団協にあっては、「実演芸術の振興」という花を咲かせるため、豊かな土壌とそこに蒔かれた種を粘り強く育んでいく力を結集し、蓄えていくことが何より肝要となります。種がすべてであると言っても過言ではございません。”

“「咲き誇る花、深く強き根」、新生芸団協のあるべき組織像ではないでしょうか。”
(注:芸団協は公益法人改革を受けて、公益社団法人を目指して組織変更を行い、新生芸団協の姿を探っている。)

 芸団協は1962年文部省で始まった旧著作権法の全面改正作業に合わせて、1965年に設立された。全面改正を7年間課長として担当した佐野文一郎元文化庁長官は、「芸団協の成長如何が著作権制度の将来の発展に大きな意味を持つであろうことは明らかであった。」と書いている(1993年12月1日発行「演劇界」12月臨時増刊新春特大号「女形六世中村歌右衛門」)。
(注:六世中村歌右衛門は芸団協三代目会長を20年間努めた。佐野文一郎氏は「演劇界」の中で、「歌右衛門会長の下で、権利者の強固な団体であると同時に、芸術家の団体としての確かな品格をも備えようとしているかに見える。」と述べている。)

 文化芸術は人間の“希望”であり“光である”。芸団協が、いや日本の実演芸術団体が将来に向けてどのような方向に進むかが注目される。
 野村萬会長が珠玉の論説を発表した同じ「CPRA news vol.61」に社団法人日本音楽事業者協会尾木徹会長は、「いまこそ文化力の向上を追求し、行動する時期だと考えております。」と述べ、尾木会長の持論である「文化力」を強調している。

以上

コメント

棚野正士 wrote:

 わたくしは今年2011年心を揺すぶられる二つの出来ごとに出合った。
 一つは2011年1月13日の日本音楽事業者協会(音事協)の新年会である。この新年会は「文化の力」をコンセプトにして出席者の心が一つにまとまった新年祝いの会であった。
 ここで音事協尾木徹会長は文化力を説き、総理大臣級の挨拶をした。わたくしは会長挨拶を聞きながら、芸団協がかつて運動した「文化省設立」運動を再び行い、文化省設立が実現した暁には尾木大臣を誕生させたいと考えた。新年の初夢であった。
 二つ目は、CPRA(芸団協・著作隣接権センター)発行の「CPRA news vol.61」(2011年10月号)の野村萬会長の巻頭言「新生芸団協の基本理念―花と種」である。
 野村会長は、世阿弥の「風姿花伝」を引用しながら"「咲き誇る花、深く強き根」、新生芸団協のあるべき組織像ではないでしょうか。"と説いている(IT企業法務研究所ホームページhttp://www.lait.jp参照)。
 人間国宝である大芸術家野村萬会長のこの論説は芸団協の基本理念であるだけでなく、すべての芸術団体の基本思想となるものである。わたくしはこの一文で生きる支えを得た。
 わたくしは今年この二つの出来ごとに出合い、光を得た。
 2011年は3月11日に国の根幹にかかわる試練があり、わたくしは日本復興には芸術文化がキィワードではないかと思ってきた。今、本気になって「文化省」設立を考えてみたい。
 1982年、臨調(第二次臨時行政調査会)の「文化庁降格原案」が発表された。同年9月12日付け読売新聞は「臨調が文化庁等を廃止し本省の内局とする大胆な改革を打ち出す」と報じた。本来、文化庁は文化省にすべきであるという期待感を芸術関係者は持っており、「文化庁降格」はもってのほかという感じであった。
 文化庁の要請もあり、芸団協は文化庁担当の臨調第二部会専門委員公文俊平東大教授に何回か陳情した。公文教授と何回か話し合って分かったことは、同教授の考え方は、文部省を「文化学術教育省」にして文部省から教育の比重を下げるという意見であり、選択肢として、文化行政を文部省から完全に切り離し、独立の文化省を設置するという考え方も示している(1982年11月15日付け東京新聞「放射線」参照)。(1987年芸団協発行「芸団協春秋20年」311ページ)
 以前から芸術関係者の頭の中には「文化省」設立がずっとあり、芸術団体にとってそれは潜在的課題となっている。
 わたくしは、CPRA news vol.61で芸団協野村萬会長の巻頭言「新生芸団協の基本理念―花と種」に感動し、今こそ文化省設立に取り組んでみたいという野心に気持ちがとらわれている。
日本復興を考えると、「文化観光省」が良いかもしれない。
 その場合、芸団協はどのような存在か。芸団協が実演芸術家団体71団体、実演家9万人をカヴァーする"夢組織"であるとすれば、芸団協は"文化による国家戦略局"の役割を演ずるとどうかと国民の一人として考える。

以上
2011-10-11 16:43:47

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