IT企業法務研究所 創作者の地位に関する研究網

「WIPO視聴覚的実演条約」、2012年成立へ

IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

1.「視聴覚的実演条約」の外交会議を来年6-7月に開催へ、WIPO総会で決定(別掲・庵研究員紹介「WIPOプレスリリース参照」)

 世界知的所有権機関(WIPO)加盟国は2011年9月29日、ジュネーブで開催中の第49回総会(会期:9月26日-10月5日)で、2012年に「視聴覚的実演条約」に関する外交会議を開催することを決定した。視聴覚的実演の保護に関する同条約は、実演家から製作者への権利移転についてのルール(第12条)を巡り10年以上にわたって議論が続いていた。2000年12月には視聴覚的実演の保護に関する外交会議が開催され、20の条文の内19の条文については暫定合意に達したものの、権利の移転に関する条項に関しては米国とEUの対立で議論が平行線をたどり、最終的に条約の採択が見送られた。
 2011年6月の第22回SCCRでは12条についてインド、メキシコ、アメリカが共同提案(注1)を行い、EUなどがこれを支持し合意が成立した。一方、12条を除く合意済みの19の条文については再討議しない方針を改めて確認し、9月のWIPO総会で2000年から中断している外交会議の再開を勧告することで最終合意した。

(注1:インド、メキシコ、アメリカ共同提案)

「締約国は、実演家がその実演を視聴覚的固定物に収録することに同意した場合には、実演家と視聴覚固定物の製作者に反対の取決めがない限り、本条約第7条(複製権)から第11条(放送及び公衆への伝達に関する権利)までに定める排他的許諾権が、当該視聴覚固定物の製作者により所有され、又は行使され、又は譲渡されることを、その国内法において定めることができる。

締約国は、その国内法の下で製作された視聴覚固定物に関して、当該同意又は契約は、契約双方の当事者若しくはその権限ある代理人が署名した書面によるものを求めることができる。

上述の排他的権利の移転と無関係に、国内法又は個別の、団体の、若しくはその他の取り決めは、第10条(固定された実演を利用可能にする権利)及び第11条(放送及び公衆への伝達に関する権利)を含めて本条約が実演のあらゆる利用について定める使用料又は衡平な報酬を受ける権利を、実演家に与えることができる。」

2.2000年外交会議

実演家を保護する最初の国際条約は、1961年ローマで作成されたローマ条約(実演家、レコード製作者及び放送機関の保護に関する国際条約<実演家等保護条約>)である。
 ローマ条約では、第19条(映画に固定された実演)で「この条約のいかなる規定にもかかわらず、実演家がその実演を影像の固定物又は影像及び音の固定物に収録することを承諾したときは、その時以後第7条(注:実演家の権利)の規定は、適用しない。」と定めている。
 1961年10月10日から26日までローマで開催されたローマ条約外交会議の記録(1968年ILO、UNESCO、BIRPI発行)を見ると、第19条はアメリカの提案で採択されたと記されている。視聴覚的実演の保護に関する国際的な対立の構造はその時から続いているように思われる。
 1961年に形成された実演家の権利の国際秩序を見直す動きが、レコード製作者の権利の見直しとともに、1993年からWIPOで始まり、1996年12月に開催された外交会議で「WIPO著作権条約」(WCT)とともに「WIPO実演・レコード条約」(WPPT)(「実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約」)が作成された。
 しかし、アメリカとEUの対立のため、WPPTは音の実演を対象とし、視聴覚的実演の保護は除かれた。
 このため、1998年までに視聴覚的実演に関して、WPPTの付属条約となる「視聴覚実演に関する議定書」を作成することを求める決議をして、その後WIPO専門家委員会、又著作権等常設委員会(SCCR)で検討が行われてきた。
 その検討を受けて、2000年8月1日にWIPO著作権等常設委員会議長により、条約草案が公表された。この条約草案は常設委員会に提出された各国提案とそれまでの議論を踏まえて作成され、意見の別れている条項については複数の選択肢が提示された。
 この条約草案を基に、2000年12月7日から20日まで、WIPO視聴覚的実演の保護に関する外交会議が開催された。しかし、EUとアメリカの対立のため、前文及び内容に関する20条項の内、19条項については合意に達したが、1条項について合意に至らなかったため、新条約は採択されず次の2点について確認して閉会した。(注:条約の名称は、草案ではWPPTの付属条約となる「視聴覚的実演に関するWIPO実演・レコード条約の議定書」と独立した条約となる「WIPO視聴覚的実演条約」〈アメリカ案〉が提示されていたが、結果は後者で合意した。)
1.19の条項について暫定的な合意に達したことをノートする。
2.2001年の9月のWIPO総会において、残された点について合意に達するために次の外交会議の開催を検討するよう、勧告する。

 合意に達しなかった1条項とは条約草案第12条の「権利の移転」(実演家から製作者への権利の移転)である。
 権利の移転に関しては、2000年8月に公表された常設委員会議長草案では、E案、F案、G案、H案4つの選択肢が併記されていた。E案は、実演家の権利は製作者に自動的に移転するというもの、F案は、製作者は権利行使の資格をもつというもの、G案は移転に関する適用法を定めるもの、H案は規定なしとするものある。
 12月の外交会議では、EUとアメリカの対立構造の中で、国際私法の考え方を取り入れたG案を基本に修正案が積み重ねられて条文案が検討された。最終的に議論が煮詰められた第12条は次の通りである。(「コピライト」2001.2文化庁国際著作権専門官遠藤健太郎「WIPO視聴覚的実演の保護に関する外交会議の結果についてー19の条項につき暫定合意したものの、新条約採択は持ち越しー」から)

第12条(排他的許諾権の移転及び行使)
(1)締約国は、この条約に規定する排他的許諾権が、実演家から視聴覚固定物の製作者へ移転すること、又は、実演家の固定への同意に伴い製作者により行使できることを定めることができる。
(2)国際的義務及び国際公法又は国際私法を害さない限りにおいて、本条約により与えられた排他的許諾権の合意による移転、又は、
[当該権利を行使する合意](注:EU案)[実演家の固定への同意に基づく当該権利を行使する権原の付与](注:アメリカ案)は、
当事者間で選択された国の法令、又は、実演家と製作者の間の合意において準拠する法令が選択されていない限りにおいては、当該合意に最も密接に関係した国の法令の定めるところによる。

 第12条は外交会議終了二日前の12月18日深夜2時40分に終ったワーキンググループ会議では、アメリカとEUが対立しながらも修正案が積み重ねられて、最終案にある「権原の付与」(entitlement)という一語にまで議論が煮詰まった感があった。しかし、この一語に集約された対立の構造は最終日前日の12月19日深夜2時まで続いた会議でも解決できず、結局、アメリカとEUの対立のまま、暫定的な合意を確認して終了した。
 WIPOから見えるモンブランに懸かる雲は晴れないままであった。
 この外交会議には芸団協野村萬会長が出席されていた。新条約が成立して、1961年ローマ条約以来40年振りに国際的新秩序が形成された場合、人間国宝野村萬会長が世界の実演家を代表してお祝いの意を表明する筈であった。しかし、「実演家のため」である筈の条約は、「実演家保護」より「産業保護」に視点が置かれ、EUとアメリカの対立の中で行き詰ってしまった。
 以来10年、WIPOで検討が継続されていた。

3.「視聴覚的実演条約」に関する芸団協の運動

 芸団協(社団法人日本芸能実演家団体協議会)は、1961年の「実演家、レコード製作者及び放送機関の保護に関する国際条約」(ローマ条約)の日本の早期加入(1989年加入)、また、WPPTの成立、加入に尽力すると共に、“映像における実演家の権利の早期確立”を求めて国際的に運動を展開してきた。
 1997年11月18日、「映像における実演家の権利の早期確立を目指す国際シンポジウムーWIPO新条約議定書の98年採択に向けて」を開催した。
 このシンポジウムには、海外からFIA(国際俳優連合)キャサリン・サンド事務局長、FIM(国際音楽家連盟)ジャン・バンサー事務局長、ルウバン大学フランク・ゴッツェン教授、国内から文化庁岡本薫国際著作権室長、山本隆司弁護士等を招いて議論を行った(肩書はいずれも当時)。
 このシンポジウムでは「東京宣言」を採択した。
 この宣言の前文は「私たち、世界各地で芸能実演に携わる一同は、今日、東京に集い、自らの基本的な権利の拡大を目指して国際シンポジウムを開催した。このシンポジウムを通して私たちは、21世紀に向け、全世界で文化と芸術の発展を実現するためにこそ、実演家の権利の拡大と地位の向上が不可欠であることを確認した。」と述べている。
 なお、この締めくくりにキャサリン・サンドFIA事務局長がダルマに目を入れるセレモニーを行った。視聴覚的実演に関する新たな国際的合意が形成された暁には片方の目にも墨が入れられる。そのダルマは今CPRA(芸団協著作隣接権センター)事務局の片隅で、両目が開くのを待っている(写真参照)。

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4.参議院文教・科学委員会における質疑

 芸団協は著作権法に係る運動、文化政策に係る運動など団体としての活動は常に国会と連携しながら行ってきたが、その一つが1999年5月27日第145回参議院文教・科学委員会における質疑である。この日、芸団協専務理事棚野正士が参考人として、視聴覚実演の保護について意見を述べ、各党代表から質疑を受けた。
 冒頭、扇千景議員は次の趣旨の質問を行った。
 「私も25年間女優をしまして、映画にも出た、舞台にも出ました。テレビにも出ました。先日もこの委員会の理事会で、ゆうべ夜中の映画であなたを見たよ言われましたけれども、私には上映通知もありませんし、一銭も入りません。入っていれば皆さんにおコーヒーぐらいおごれたんですけれども。そのようなことで、いわゆる実演家というものに対しての権利の保護が抜けているわけです。けれども、それに対して隣接権センターを設置して芸団協は研究なさっておりますけれども、現在どのような回数で、どのような結果が出ているのかがわかれば簡単にお聞きしたい。」
 これに対して、芸団協専務理事棚野は次の趣旨の答弁をした。
 「実演家著作隣接権センターを、関係団体の協力を得まして昨年再構築しました。(略)今後はいわば、法人芸団協の中にありますけれども、日本の隣接権センター、しかも内容的には世界最強のものにしたい。隣接権処理、実演家の権利処理もまだまだ発展途上でございまして、隣接権処理のシステムを日本としてはむしろ発信したい、輸出したいというぐらいの意気込みであります。芸団協における隣接権センターはそういった方向を目指すということで委員がみんな努力しています。」
 この参議院文教・科学委員会は6月1日、著作権法一部改正法案の可決に際して付帯決議を各派共同提案で、全会一致で採択している。付帯決議は、
 「三、実演家の人格権及び視聴覚的実演に関する権利について検討を進め、『WIPO実演・レコード条約』の早期批准を目指すとともに、視聴覚的実演に係る新たな国際的合意の形成に積極的役割を果たすこと。」を決議している。

以上

コメント

棚野正士 wrote:

「契約」について(2)

棚野正士

3.フランス法、ドイツ法に見る契約

フランス法では契約について次の規定がある。
第131の1条 将来の著作物の統括譲渡は、無効とする。
第132-2条 この章に定める上演・演奏契約、出版契約及び視聴覚製作契約は、書面で確認されなければならない。演奏の無償許諾についても、同様とする。
第212-3条 実演家の実演の固定、その複製及びその公衆への伝達並びに音と映像が同時に固定されている実演のその音と映像のいずれの個別使用も、実演家の書面による許諾を必要とする。

また、ドイツ法では次の規定が見られる。
第31a条(未知の使用方法に関する契約) 契約で、それにより著作者が未知の使用方法に関する権利を許諾し、又はその義務を負担するものは、書面形式を要する。
第40条(将来の著作物に関する契約)(1)著作者が、将来の著作物であって、およそ詳細には確定しておらず、又はその種類をもって確定しているにすぎないものに対して、その使用権を許与することにつき義務を負う契約は、書面による方式を要する。(以下、略)

4.WIPO・AV条約

現在WIPOで検討されている「WIPO視聴覚的実演条約」草案第12条に対して、インド、メキシコ及びアメリカ共同提案が出されているが、この第2パラグラフでは、「締約国は、その国内法の下で製作された視聴覚固定に関して、当該同意又は契約は、契約双方の当事者若しくはその権限ある代理人が署名した書面によるものを求めることができる。」と記されている。
この提案によりWIPO視聴覚的実演条約が作成され、条約に対応して国内法を改正する場合、「書面による契約」条項が取り入れられてよい。第93条、第94条に関連して、契約に関する条項が検討されるべきである。
ただ、そのためには、実演家団体が契約条項に関する調査研究を深め、同時に契約の実態をつくっておく必要がある。実態を形成しないで、単に法改正を訴えるだけでは説得力をもたない。
条約が作成され批准するまでには数年かかると思われるので、実演家はこの時間を無駄にしてはならない。
以 上
2011-10-12 16:45:43

棚野正士 wrote:

実演家の人格権について
棚野正士

WIPO視聴覚的実演条約の草案第5条で実演家の人格権は規定され、これについては2000年外交会議で暫定合意を得ている。このため、2002年WPPT加入に伴う国内法改正で、音の実演と映像の実演を区別することなく実演家の人格権を定めた。
WPPTでは、生の聴覚的実演とレコードに固定された実演に関して同一性保持権と氏名表示権を認めているが、映像の実演については人格権を認めていない。
芸団協は1968年文部省文化局長宛てに実演家の人格権について意見書を出し、以来人格権創設について著作権法改正運動を継続してきたが、映像関係団体の同意を得られない状況が長年続いてきた。
この流れを変えたのは、2002年WPPT加入に伴う法改正の機会に、2000年外交会議で暫定合意されている映像の実演に関する人格権の導入をするという方針であった。
このため、芸団協は2001年4月から12月にかけて関係団体14団体と話し合いを行い、最終的にすべての団体の賛意を得て35年かかった人格権法改正が劇的に行われた。
この劇的な法改正は、文化庁著作権課長の作・演出、NGO芸団協の主演で仕上がった。
これをきっかけに芸団協の運動方式は、政府への陳情型から関係団体と協議し相互に解決法を探り、条文草案も自ら提案するという自立的運動方式に転換した。
2002年の法改正運動は人格権導入という成果よりも、運動方式転換のきっかけになったという意味が大きい。
なお、この経緯については、「文化庁月報 2002年8月号」に「実演家の人格権創設」と題して小文を載せている(IT企業法務研究所(LAIT)ホームページ“棚野正士備忘録”に転載)。
2011-10-04 00:10:09

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