IT企業法務研究所 創作者の地位に関する研究網

平井和夫さん 追悼 (山下睦)

社団法人 日本芸能実演家団体協議会
 実演家著作隣接権センター(CPRA)
 元事務局長 山下 睦(2009.3.17)

 平井さん、これから少なくともあと8、9年は事務局長として、浅原恒男代表理事とともに、映像実演権利者合同機構(PRE)の更なる発展のために力を注いでいただきたかったと、わたくしたちは願っておりました。平井さん、あなたを喪い、わたくしたちはほんとうに残念でなりません。

 去る1月17日に亡くなられた平井和夫さんの告別式において、弔辞を詠まれました棚野正士さん(IT企業法務研究所代表研究員)より、1月末日、「平井さんは本当に残念でした。これから日本全体の実演家のために頑張ってもらおうと思っていました。それだけに、平井さんの急逝はこたえます。平井さんの追悼文を書いていただけませんか。ぜひとも、IT企業法務研究所(LAIT)のホームページに掲載したいと思います。あなたは、社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の芸能人年金業務、著作隣接権業務、実演家著作隣接権センター(CPRA)業務と、常に平井さんを引き立てながら一緒に歩んできましたので、一番適任です。何卒よろしくお願いします。」とのメールが、わたくしあてに送られてきました。
 わたくしは、このお申し出をお受けするにあたり、平井さんが、生前にご活躍されましたいくつかの足跡などをご紹介させていただき、それを以ちまして、平井和夫さんへの追悼メッセージとさせていただきたく思います。

『平井さんとの出会いと芸能人年金のこと』

 平井さんとわたくしの出会いは、昭和61(1986)年2月の初旬で、わたくしが、芸団協に入社して2年目に入る直前の頃であったと思います。当時、芸団協は、“すべての事業が組織づくりに結びつく”ということを前提とし、「芸能活動推進事業」「著作隣接権・レコード二次使用料関係事業」「実演家の福祉厚生事業」を三つの中心事業として取り組んでいた頃でした。昭和61(1986)年度には、実演家の福祉厚生事業に係る栄誉年金の増額、受給者の年金額の増額等芸能人年金の給付内容改善を含めた「芸能人年金システムの開発」が急務となりました。
 やがて、棚野正士事務局長および大宮悌二年金部長(いずれも当時)より、わたくしに年金システム開発の作業を担当するようにとの指示があり、当時、年金部職員だったわたくしは、そのとき、とてつもない大きな仕事が舞い込んできたという喜びと共に、正直に言いまして一抹の不安がよぎりました。
 その頃、芸団協と取引関係のありました安田信託銀行銀座支店(当時)のご協力を得て、ご紹介されましたのが、安田コンピューターサービス株式会社営業開発第2部所属でコンピューター関係の技師をされていた平井和夫さんでした。これが、平井さんとわたくしの出会いとなりました。それ以来、23年ほど経ちましたが、当時のことは、わたくしの脳裏に走馬灯のごとく残っておりまして、大変懐かしく思います。
 平井さんには、早速、年金システムの開発に携わっていただくことになりました。開発チーム結成前の2ヵ月間、平井さんに芸能人年金業務の現状分析およびシステムの基本設計(年金データの移行作業を含む)をお願いしましたところ、大変見事な資料をまとめてくださいました。このとき、わたくしは、「平井さんが、正にプロ級のシステムエンジニアである」ことを痛感させられましたことを、今なお、明確に記憶いたしております。
 年金システムの開発作業につきましては、平井さんをはじめ、株式会社日立ビジネス機器のシステム担当者3名〈プログラマーを除く〉、年金部職員のわたくし(以上5名)で開発チームを作り、その第1回会議において、平井さんにチームリーダーを務めていただくことが決まりました。その後、約1年をかけて開発作業を継続しまして、当初の予定どおり、「芸能人年金システム」の完成に至りました。
 そして、昭和62(1987)年5月、同システムが円滑に稼動しましたことで、今後、年金加入者数および加入口数の増加ならびに事務の合理化や年金部職員の増員抑制等が図られるなど、システム化のメリットが大いに期待されるようになりました。開発チームの解散後も、平井さんは、システムの維持・管理や年金部職員への助言等を自ら進んで行ってくださり、懇切丁寧なフォローをしてくださいました。
 とりわけ、昭和62(1987)年度は、芸能人年金共済制度が発足いたしまして15年目に当たり、制度創設以来、多くの実演家たちの念願でありました積立年金の増額と栄誉年金の増額が実現されましたことは、当時、芸団協関係者にとりまして、大変注目に値する出来事となりました。
 「芸能人年金システムの構築」これこそ、平井さんが、芸団協に大きく貢献されました第一歩であったということを、わたくしは、今日も確信してやみません。

『芸団協への転職についてのこと』

 芸能人年金システム稼動後の数年は、平井さんと時々お会いしたり、電話でお話しする程度でしたが、平成9(1997)年の夏頃から、平井さんの言葉の節々に、彼がご自身の仕事に少なからず不安を抱かれている様子が伺えるようになり、近々、一度お会いして話し合いましょうということになりました。
 同年の秋、わたくしは、当時、芸団協専務理事兼CPRA運営委員会委員長をされておりました棚野正士さんに相談のうえ、平井さんと話し合う機会をもつことができました。芸団協は、平成9(1997)年2月、事務所を中央区銀座1丁目から新宿区西新宿3丁目に移転すると共に、事務局組織の全面変更を行いましたが、なお、「CPRA担当部」の職員採用が急務の課題となっておりました。そこで、わたくしは、平井さんに「芸団協にいらして、映像関連の業務を手伝っていただけませんか」との打診をいたしましたところ、平井さんから、間髪を入れず、「ぜひ、お願いします。」との返答をいただきました。早速、わたくしは、事務所に戻り、棚野正士さんに同結果を報告のうえ、平井さんに、CPRA担当部の職員として入社していただくための手続きに入りまして、平成9(1997)年12月1日付けで、芸団協に入社いただくことになりました。
 当時、視聴覚的実演を保護するための動きについて日本政府の方針が進みつゝあり、文化庁により「映像分野の著作権等に関する諸問題についての懇談会」(芸団協から委員として前述の棚野正士さんが参加)が設置されまして、平成9(1997)年11月12日、その第1回会合が開かれ、情報のデジタル化・ネットワーク化の急速な進展に伴う映像分野の著作権等に関する諸問題について、国際的な動向を踏まえつゝ検討が開始されました。芸団協といたしましても、この動きを見つゝ強力な運動を展開して行く必要に迫られている時期であったことを、わたくしは、記憶しております。
 芸団協入社後、平井さんは、早速、この問題に大きな関心をいだかれ、この時点から、映像関係の仕事に一層大きな夢を託されていたのではないかと、わたくしは、常々、思うようになりました。

『芸団協時代におけるご活躍のこと』

 当初は、事務局職員として、CPRA担当部において、映像作品に関わる俳優など多くの実演家のための権利処理業務を担当していただくことになりました。
 平井さんは、この場面でも、放送局等により日常行われる放送番組のビデオグラム化や番組販売など、実演の再利用に伴う使用料・報酬等の徴収および分配に係る業務を短期間で習得され、さらに、事務処理の効率化を目指すべく、平成10(1998)年度末には、同業務のシステム化を実現されました。その結果、映像に関わる日常業務の合理化を図られましたことも、当時、特筆されるべき成果であったと思います。
 CPRAでは、近年、さらに本格的なシステム開発等がなされておりますが、その基本的な考え方の部分は、平井さんの考えられた部分が踏襲され、今日に至っております。
 平成11(1999)年8月、平井さんは、CPRA映像業務部の部長に昇進されまして、その後は、管理職として、放送番組の再利用に関するNHK、民放局等との折衝業務をはじめ、日常の管理業務やCPRA運営委員会の諮問機関のひとつであります「オーディオビジュアル関連業務部会」の運営事務など、実に多忙な日々を過ごされました。

『映像実演権利者合同機構(PRE)の誕生にまつわること』

 平成12(2000)年当時、CPRA運営委員会委員(映像業務担当)を務められていました池水通洋さん((協)日本俳優連合)が中心となり、平成13(2001)年4月6日付けで、芸団協正会員の俳優団体等により構成されるPREが設立されました。当法人の目的は、定款に「当法人は、当法人に著作隣接権及び肖像権を権利委任する実演家の権利保護と権利処理に努めることを目的とする。」旨が規定されており、また、事業の中心に「当法人に著作隣接権等を委任した権利者に代わって適切な権利行使を行い、それによって生じる使用料等の徴収・分配を公正・円滑に遂行する業務」が明記されております。
 また、第3項には、「権利処理に必要なデータを収集し、管理する業務」とあり、発足直後のPREにとりまして、この時期は、運営面から、一人でも多くの委任権利者を獲得して行くことが、最大のテーマになっていたものと思われます。そのため、PREとして、早急に委任権利者の数を増やさなくてはならず、事務体制の強化が急務の課題であったように、わたくしはお見受けしておりました。
 PREは、同団体に著作隣接権等を委任した者ほとんどをCPRAに復委任することで、CPRAが放送番組の二次利用(放送番組の全部利用)について放送局等の利用者とその取り決めを行い、使用料・報酬等の徴収および分配業務を行うなど、利用者と委任権利者の間の利用秩序の円滑化に努めています。そして、PREの委任権利者あての分配は、CPRAからPREを経由して行われています。
 また、放送番組の部分利用(放送番組〔ブロードバンド配信を含む〕、舞台中継、肖像、ラジオドラマ等)につきましては、CPRAが取り扱っていないため、PREが、放送局等の利用者と直接、実施されておりました。
 同年3月下旬、PRE代表幹事の池水通洋さん(当時)から、「PREが行う実施事業の早期安定化のために、平成13(2001)年4月1日から向こう1年間、平井和夫さんをPREに出向させていただけませんか」との依頼文書が、CPRAあてに届きました。
 早速、ご依頼の件をCPRA内部で検討させていただき、その結果、PREにおける映像関連事業が安定して行くことは、CPRAにとっていずれ大きなメリットが生まれるであろうとの考えから、映像業務部長の平井さんに出向していただくことになりました。
 出向後、間もなく1年が経つであろう頃、池水さんから、「平井さんの出向を、あと1年延長していただきたい」旨の文書が、CPRAあてに届きました。このとき、CPRAといたしましては、「当方も映像関連業務が多忙となり、その要員の確保を検討しているところです。1年間というお約束で出向を認めましたので、今般、お申し出の件を認めるわけには行きません」との返答をいたしました。
 この件に挟まれ、恐らく、苦悩されていたであろう平井さんは、両団体におけるこれからの仕事のやり甲斐等々を様々考えられ、また悩まれたうえ、少しでもご自身に適った道を歩まれることを決意されたのではないかと、わたくしは思いました。そして、平井さんは、平成14(2002)年3月31日付けでCPRAを退職され、同年4月1日付けでPREに入社されました。
 平井さんが、CPRAに勤務されました期間は延べ4年4ヵ月でしたが、そのうち1年は上記の出向がありましたので、実質的には3年4ヵ月という短い期間でした。しかし、わたくしは、この間、有能な平井さんとCPRAで仕事をご一緒することができましたことを誇りに思い、生涯忘れることはありません。

『映像実演権利者合同機構(PRE)におけるご活躍のこと』

 平成14年(2002)年4月1日以降、平井さんは、PREに勤務され、同法人が実施する様々な事業に取り組まれることになりました。
 当面、PREが、同法人の目的および主たる事業を達成されるためには、著作隣接権および肖像権を権利委任する実演家の数を増やして行かなければなりません。
 そこで、先ず実施されたのが、映像実演に関わる俳優等にこれらの権利をPREに委任していただくための手続き作業です。また、俳優や声優の一部にレコード実演に関わっている方もいらっしゃるため、その場合には、レコード実演に係る権利(商業用レコード二次使用料、貸レコード使用料・報酬、私的録音補償金など)の委任をしていただくための手続き作業も不可欠となります。
 平井さんがPREに入社された頃は、未だ事務局員は確か2~3名ほどでした。そのため、かなりハードな仕事をなさっていたことゝ思います。
 しかしながら、その結果を拝見しますと、平成13(2001)年4月末に814事務所、11,865名だったPRE委任者数が、平成20(2008)年8月末には、1,336事務所、27,588名と大きく飛躍されていました。
 平井さん、PREの組織強化の観点からも、大きな仕事をやりましたね。本当に、お疲れさまでした。このご苦労は、PREが存続する限り、次の世代に伝えられて行くべき大きな功績であったことゝ、わたくしは強く感じております。
 PREは、平成17(2005)年12月1日、新たに法人格を取得され、「有限責任中間法人映像実演権利者合同機構(PRE)」となり、定款上の目的も「本機構は、実演家の権利保護に努め、著作物の公正な利用を促す公共性の高い事業を通して、実演家の地位の向上と文化の振興に寄与することを目的とする。」と改正されました。これに関しても、平井さんは、様々な形でご貢献されましたことゝ拝察いたしております。
 また、前掲のごとく、放送番組の部分利用(放送番組〔ブロードバンド配信を含む〕、舞台中継、肖像、ラジオドラマ等)については、長年にわたり、PREが放送局等の利用者と直接、権利処理を実施されております。
 放送番組の部分利用に関する許諾手続きは、従来、放送局から利用申請書をFAXにより受信し、PREにおいて権利者の確認を得た後、電話やFAXで許諾結果を通知されていました。平井さんは、この部分利用のための実務を合理化すべく、その電子化を考えられ、【PREX(プレックス)】と呼ばれる電子許諾システムを開発されました。その結果、パソコンや携帯電話を用いて簡単に申請手続きや許諾結果の確認が行えるようになりました。昨年3月、IT企業法務研究所主催の月例セミナーで、この『電子許諾システム・PREX』の紹介が行われ、放送業界、政府・行政関係者、関係団体等からも多数の方々が出席され、高い評価が得られております。このPREXの開発も、コンピューターシステムに精通されていた平井さんならではのアイデアであろうと思います。

 以上のごとく、平井さんは、芸団協の事業・CPRAの事業に、大きく貢献されるとともに、PREの事業につきましては、「実演家の著作隣接権の確立と権利処理を充実する活動」と多くの課題が山積するなか、PRE事業の柱を育てゝこられました。平井さんが、急逝されましたことは、わたくしたち関係者にとりましても、真に残念でなりません。
 また、平井さんは、ご家族の皆様を大切になさる人でした。毎年、送っていただいた年賀状には、かならず、奥様や3人の子供さんとご一緒に、笑顔をされた平井さんが写っていらっしゃいました。
 平井さん、これからも、わたくしたちと共に歩んで行きましょう。
 生前のご尽力に感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

以上

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