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私的録音録画に対する「補償措置の必要性の検討」について

 私的録音録画問題に関する「私的録音録画小委員会」での検討も終盤をむかえ、8、9月にはその制度設計を含めた中間報告が取りまとめられる予定とされている。

 しかしながら、小委員会における検討内容を見てみると、「私的録音録画により権利者が被る不利益」等の議論をもとに、「補償措置の必要性」についての検討が行われている。

 いろいろな考え方をもとに、議論を積み重ねることは必要ではあるが、今日のようにデジタル技術が進化し続けている環境下において、私的録音録画に対する補償措置の必要性は考えにくいとする意見があるとすれば、はたして、それは妥当するのであろうか。

  1. いうまでもなく現行の補償金制度は、平成4年に導入されたものであるが、制度導入に至るまでには、昭和52年の権利者三団体から文化庁長官に対し要望書が提出されたのを契機に、「著作権審議会第5小委員会(昭和52年10月)」、「著作権問題に関する懇談会(昭和57年2月)」、「著作権審議会第10小委員会(昭和62年8月)」及び「私的録音録画問題協議会(平成3年12月)」において、約15年もの長期にわたって審議されてきたものである。
     解決に至るまでになぜこのような長い期間が必要とされたのかといえば、お国柄の違い、文化の違いということがいえるのではないかとも思う。

     欧米においては、白か黒かの二者を峻別するという構造があるといわれており(文化の時代の経済運営)、著作権の分野でも権利者の利益を保護するためには第三者(裁判所)の判断を得るというステップを踏む場合が見られる。
     これに対し日本の場合は、絶対的な勝組も敗組もいないといういわば「おのおのが所を得る」という文化を有しているともいわれている。

     報酬請求権制度の導入に当たっても、1965年に世界で最初にこの制度を導入した当時の西ドイツの場合は、権利者側が訴訟というルールの中で戦いながら勝ち取ってきたという歴史があるのであるが、わが国においては、15年という長い時間をかけて関係者がラウンドテーブルにつき、徹底的な話し合いの中から全体的な理解を深め、活路を見出そうとする、いわゆる「日本方式」によって解決が図られてきたということがいえるのである。
     そして、この長期にわたる検討の基本テーマが「補償措置の必要性」についてなのであって、その検討の成果として、第10小委員会報告書(平成3年12月)において「制度導入の必要性が提言」されたのである。

     もし「補償措置は必要ない」ということであれば、現行制度の導入にいたるまでのこのような15年間の積み重ねの論議とその重みを打ち消すだけの論理的な説明がなされなければならないが、必ずしもそのような納得のいく考え方が示されているとはいえないようにも思われるのである。

  2. 現行の補償金制度の特徴の一つは、報酬請求の対象をデジタル方式の製品に限ったということがあげられる。

     では、なぜデジタルなのかということであるが、本来著作物の利用という観点からすれば、アナログであろうとデジタルであろうと技術の水準は問うべきものではなく、区別をする理由はないわけであるが、性能面においては格段に違っており、デジタル方式では、原音・原画と同等な高品質の複製が可能であり、また劣化をしないという特性を備えている。
     制度導入時における、このような性能を備えたデジタル製品は、先行の新規格のDAT(平成2年)とMD、DCCが発売(平成4年)されたばかりであることから、「アナログとデジタルの混在した初期の時代」ではあったが、その流れとしては、確実に、デジタル化の方向に進んでいるといえたのである。

     このようなことから、デジタルに限定して制度設計を行ったのは、今後、デジタル私的録音録画がますます増え、「権利者の経済的な不利益が大きくなってくる」ことに対応していこうということが、その理由として挙げられているのである。
     それが、制度導入時から15年目を向えた今日、最早「デジタルの時代」といってもよいような環境下にあることは誰しも否定できないものと思われる。

     そうだとすると、早くから、「このような時代」の到来を予測して、デジタル私的録音録画補償金制度が導入されたことは当を得ていたということであって、まさに、このような「デジタル時代」のためにこそ、この制度が必要であり、存在するといえるのでる。

  3. 現在行われている小委員会の検討は、昭和52年に第5小委員会が設置されてからすでに30年、平成4年に制度が導入されてからでも15年を経過している。

     昭和52年当時はラジカセ全盛の時代であり、また制度導入当時は、上述のとおりデジタル機器としてのDAT(新規格)、MD、DCCの出始めの頃であった。
     このような当時の環境下における私的利用の状況と比較して現状はどのように変化しているのだろうか。

     この点について、前期の第8回小委員会の配布資料4では、私的録音録画の実態について、「2006年度実態調査を踏まえた私的録音録画の変化等について」から、以下の事実が推測されると分析している。

    (1)録音

    1. アナログ録音からデジタル録音へ着実に転換が進んでいる。
    2. 利用者一人が行う録音頻度や録音量は、PCや一体型録音機器の普及に伴い、増加している。
    3. 録音源としては、配信からの録音はまだ少なく、パッケージからの録音が多くを占める。

    (2)録画

    1. 録音の場合に比べて、デジタルの普及は遅れているが、今後普及は進むと考えられる。
    2. デジタル録画機器を購入している者の録画頻度は、1998年のアナログ録画の調査と比べて顕著に多いことが分かり、また、デジタル機器に換えて録画が増えたとする人が多いことから、デジタル機器の普及とともに、一人当たりの録画頻度や録画量は高くなると予想される。

     このような分析に基づいて、小委員会配布資料は「平成4年の補償金制度導入時と比べて、『複製の総体』が減少しているとは考えられず、デジタル録音録画の特性を考えると、むしろ増加傾向であると推測されるかどうか。」と問いを投げかけているのであるが、制度導入時以降、「品質が劣化しない、大量の複製が可能等が特徴」とされる新たなデジタル複製機器の開発が急ピッチで進み、CD-R/RW、ハードディス内蔵型録音機器、DVカセット、DVD-Rその他の録音録画機器が登場し、家庭、又は個人でこれらのデジタル機器を保有する割合も確実に増えていること等から、容易に、かつ大量に高品質な複製物を入手することができる環境にあるということができ、これらの機器を使用した『デジタル複製の総体』は、増加傾向にあると推測されることは明らかであろう。

     そうであれば、まず、デジタル複製の環境、実態面から、今日的な私的録音録画が著作権法上どのような位置づけになるのかについて評価を行うことが求められているのではないだろうか(この点については以下5で眺めることとしたい)。

  4. 「補償措置の必要性」が検討の俎上に上がる背景には、「私的使用のための複製は基本的にユーザーに認められた権利」といった考え方が根底にあり、「デジタル複製であれば私的複製全般について、重大な利益の損失が生じ得る場合なのかどうか」という疑問が生じているのではないかと思われる。

     この問題等については、すでに「私的使用目的の複製の見直しについて(国時)」等において触れたところであるが、問題の本質を見失わないために、改めて、端的に整理してみたい。

    (1)制限規定としての30条

     30条は、あくまでも著作権の有する排他性の「例外」として、一定の限られた場合」での利用を規定するものである。

     そして大切なことは、「この『例外』は、本来権利者が有している『無断で利用されない権利』が『及ばない』という場合を定めているだけであって、利用者側に『利用できる権』が与えられているわけではない(岡本 薫氏 著作権の考え方)」ということである。
     このように30条1項の複製の自由は、固有の権利として保障されているものではなく、「著作者の経済的な利益を著しく害さない程度の複製に伴う財貨の帰属を利用者にひとまず帰属せしめた(辻田芳幸氏 著作権法第30条の論理構造と報酬請求権の法的性質)」ということであるので、「ひとまず帰属」させておくことが適当とはいえないような状況が生じた場合は、権利者の「無断で利用されない権利」が「及ぶ」ようにすることにつて、考慮しなければならない性質のものであるということである。

     また、30条1項において私的複製が許容されるのは、ベルヌ条約9条2項の排他的権利の例外を認める3つの条件を反映したものであることから、私的複製の自由は、零細なレベル(必要最低限)での複製であることを前提としているものであるが、ベルヌ条約9条を見る場合において注視しなければならないのは、その1項では、著作者は「複製を許諾する排他的権利を有する」と書かれており、このことは、複製を行うことの「例外」が認められない場合は、「著作者は、すべて複製についての権利を有している」ということを意味しているのであって、まず、このことから考えていくべきものなのであろう。

    (2)私的利用の場合における権利者の被る不利益

     第4回小委員会資料1(補償措置の必要性がないという意見について)を見ると、次のような記述がなされている。

    • 複製がなければ売り上げが上がるはず
    • (権利者側は)録音録画禁止による商品の売り上げ増についても明確な説明ができない
    • 録音録画を禁止していない商品を市場に提供しているが、これは私的録音録画によって利益を得られると考えているからではないか

     このように小委員会における「権利者の不利益論」の議論は、「音楽CD等の商品の市場への提供と売り上げ(その増・減)」との関連付けて捉えられているようにも思えるのである。

     しかしながら、この点については、現行制度導入の検討の過程で、当時の芥川也寸志JASRAC理事長が提出した意見書「私的録音録画問題と報酬請求権制度の導入について(昭和63年8月)」において「かって報酬請求権制度をめぐる議論の初期に、ホームテーピングによるレコードの売り上げ減少というような観点からの議論がありましたが、この問題の本質はそのような次元のものではないと思っております。」とその考え方を述べているのである。

     また、同意見書の項目の1では「著作権者等の被っている不利益について」も触れている。
     そこでは実態調査結果をもとに「一人ひとりの行為は家庭内のごくささやかな出来事ではあっても、大量生産、大量消費の現代社会にあって、その結果はまさに巨大なものである。」としつつ、「現代の録音録画機器によるホームテーピングは、もはやベルヌ条約弟9条第2項の但し書きの範囲をこえ、著作権法第30条により正当に認められる限界をもはるかにこえるものであるといわなければなりません。」と述べているのである。

    この芥川意見書は、私的録音録画問題の本質を的確に捉えており、時代が推移して、デジタル化の真っ只中にある今日であるからこそ、その考え方の重みを、今一度思い起こしてみる必要があるのではないだろうか。

     このように、そもそも、私的録音録画問題は、上記のような「商品の売り上げ」との関連で議論すべき性質の課題ではなく、「権利者の正当な利益が不当に害されている」ということは、基本的には「権利者が本来有している複製に対する権利を行使し、そこから受ける利益を享受する機会を大幅に減少させている」というところにあるのである。

     このことについては、第3回小委員会参考資料1「私的録音録画により権利者が被る不利益と著作権保護技術の関係について」の2「不利益に関する考え方の整理」の(2)の二番目の○の下段に「私的録音録画が権利者の許諾を必要とする利用であったならば、権利者が得られたであろう経済的な利益はどう考えるか」と問われているが、まさに、このことが不利益論の核心部分であることを理解する必要があるように思われる。

  5. 今日的な私的録音録画の評価、位置づけ

     以上の点を踏まえて、次のような現実のデジタル録音録画の環境と実態が、そもそも著作権法上どのように位置づけられるものなのかどうかの評価を行う必要がある。

    1. すでに昭和52年の時点で、私的録音は「もはや日常事と化している(権利者3団体の文化庁長官に対する要望書)」と指摘されているとおり、著作物等を家庭内で録音録画して楽しむことは、著作物等の「新たな、そして有力な利用形態」の一つとして位置づけられるものとなったこと
    2. さらに、その当時においても、このような「新たな利用形態」は、私的録音録画の将来的な見通し、すなわち、デジタル録音録画機器の新たな利用者の発生と経験者の永続化・深化と相まって「私的使用のための複製の自由は、もはや権利者が複製権の制限として受忍する限界を超えたと判断せざるをえない」と捉えられていたこと
    3. その後、デジタル技術の発達に伴い、各種のデジタル機器の登場と普及によって、容易に、かつ大量に高品質な複製物を入手可能な環境が醸成されてきており、時代は、確実に「アナログ・デジタル混在の時代」から「デジタル時代」へと移り変わってきていること
    4. そのような環境の変化により、「品質が劣化しない」、「大量の複製が可能」である多種類のデジタル機器によって、私的録音録画は、「日常的に行われる」ようになり、このようなデジタル録音録画は「一般的な性格のもの」として捉えることができるようになっていること
    5. デジタル時代では、利用者一人が行う録音録画の頻度や録音録画の量は、増加傾向にあり、またデジタル複製の総体も、同様の傾向にあると推測できること
    6. デジタル技術は「品質が劣化しない」、「半永久的に使用が可能」等から、これらの技術によって私的録音録画されたものは、音楽CDの保存と同様の効果をもたらし、また、テレビ番組等も長期にわたって保存可能であること

     これらの点を考慮すれば、「ベルヌ条約9条2項」との関連から、また、「必要最低限の複製だけが許される」と解釈される「30条制定の趣旨」からすれば、今日的なデジタル私的録音録画は、個々の家庭内における行為として捉えた場合であっても、また全体の量と質(複製の総体)としても、権利者の受忍の限界を超え(技術的制限措置を考慮に入れないとして考える場合)、30条の許容する限りではないと評価されるものと思われるのである。

     なお、「著作権法逐条講義(加戸守行氏)」の30条の解説を見ると、「家庭にビデオ・ライブラリーを作りテレビ番組等を録画して多数の映像パッケージを備える行為が認められるかといいますとベルヌ条約上許容されるケースとしての条件を充足しているとは到底いえないという問題も出てまいりましょう」と述べ、さらに、「本条の立法趣旨が閉鎖的な範囲内の零細な利用を認めることにあることからすれば、度を過ぎた行為は本条の許容する限りではないと厳格に解すべきであります」とされている。

     そうしてみると、デジタル技術そのものは非常に優れた技術であることから、ややもすると30条制定の趣旨として許容されない「度を過ぎた行為」をもたらしてしまうという特性を備え持ったものといえるのかもしれない。

     このように考えてくると、ドラスティックと写るかもしれないが「30条の私的複製のうちのデジタル私的録音録画の分野」については、これを一旦21条(複製権)に戻して考えてみて、そこをスタート地点として、次のステップへと移っていくという発想が本来のあり方であり、必要なことではないかと思うのである。

    すなわち、次の段階として、権利者・利用者双方の利益、実効性等を考慮して、私的目的の利用行為のうち、どのような類型の行為を30条の枠内に取り込むことが妥当であるのか、また、そのためにはどのような条件が必要とされるのか等の検討に進んでいくという過程を経るということである。

     上記小委員会参考資料1の2の(2)の中に、「個々の行為類型ごとに権利者が不利益の違いはあると考えられるが、不利益の濃淡は別として、どのような行為類型についても権利者に不利益を与えているといえるか」とあるが、ここで投げかけられた問いに対しても、上述のとおり、「30条の私的複製のうちのデジタル私的録音録画の分野」そのものを、一旦本籍地(21条)に戻して考え、そこを起点として、次のステップ、すなわち「30条内に移行させる行為類型について考慮する」という思考過程を経ることによって問題が理解し易くなるのではないだろうか。

  6. 利用者の利便性・利益にも配慮

    上述のような評価を行った後、しかしながら権利者側は、次のような視点に立って考慮するというアプローチをとることが求められるものと思われる。

    1. 利用者の利便性等を尊重・考慮して、一定の行為類型については、あえて許諾権とそれを前提とした対価請求権の行使はしない
    2. その行為類型を30条の枠内のものとして捉えるための条件はどのようなものか

    すなわち、現在検討している課題を;

    • 21条に基づく「許諾権」と「それを前提とした対価請求権」を
    • いかに、バランスよく本籍地(21条)に留めおく利用行為と30条に送り出すことが妥当な利用行為を峻別し
    • 30条に送り出すことが妥当と判断された利用行為を、どのような条件のもとに30条の枠内の「自由利用」と「低廉な報酬を請求する債権的請求権」に移行させていくのか

    として整理するということである。

     このように、これまで議論されてきた「30条の範囲外とすべき利用形態は何か」という発想を転換することによって、利用者に、著作権法の原則を踏まえたなかで、私的録音録画問題について理解してもらい易くなるのではないかと思うのである。

  7. 30条の枠内に移行させる私的録音録画の条件

     このように考えてくると、次に、もともと本籍地が21条であるはずのデジタル録音録画を30条内のものとして、利用者が自由に、かつ低廉な補償金を支払うことによって利用できるようにするためにはどのような条件を満たす必要があるのか、というテーマに移っていくはずである。

    1. その条件をクリアするための技術的な制限措置

       「著作権保護手段のルールに従って行われる複製可能な範囲」を「30条の枠内の複製」として位置づけるには、すでに述べたように「権利者が本来有している複製に対する権利を行使して、そこから受ける利益を享受する機会を大幅に減少させない」ために「必要最低限の複製」であると認められることが求められており、そのような条件に適合させる「技術的制限措置」を採用することが必要とされる。

       なぜなら、デジタル技術の特性から、複製機器が家庭内に入り込めば入り込むほど、それだけ30条1項の複製の自由の範囲が拡大することにつながる恐れがあるからである。
       現行の補償金制度はこのような技術的措置を前提として採用されたものであり、補償金の支払い対象となる政令指定のデジタル製品には、事実上、録音録画を制限する技術措置(録音用製品にはSCMS 録画用製品にはCGMS)が装着されている。

       このようにデジタル複製を技術的に制限する理由は、著作物等の違法な利用を技術的に防ぐという効果を期待するものであると同時に、デジタル複製機器が家庭に入ることによって30条1項の複製の自由の範囲が拡大してしまうことを押さえ、著作権法の目的とするバランスが損なわれることのないように、「30条内の複製の肥大化を避ける」ことを想定したものといえるのである。

       したがって、複製手段の開発が急速に進化していることを考えると、技術的制限措置についての対応を著作権法上の問題として捉え、その「複製手段の開発の状況に見合った保護技術の装着を義務付けることについても検討が求められているといえる。

       さらに、実際の適応に当たっては、解釈上混乱を生じさせないために、その技術のレベルについても、上述の「30条内の複製の趣旨」、「補償金制度による補償措置のレベル」等を考慮して、行政が関与する形で権利者を交えた関係者間の合意によって取り決められることが望まれる。

    2. 「技術的制限措置」と同様の目的を有する「金銭的な補償措置」

       これまで「技術的制限措置」と「金銭的な補償措置」とを関連づけた議論はあまりなされていないように思われるが、私的録音録画を30条内の問題として捉えた場合は、その一方のみに偏る(例えば、コピー不可の技術を装着して補償措置をなくすなど)ことは適当とはいえないことから、技術的制限措置によって30条内の複製の肥大化を防ぎながら、かつ金銭的な補償措置を講ずることによって、利用者の利便さと権利者の利益のバランスを図っていくことが著作権法の目的にも適っているものといえるのである。

       そして、30条内における補償金制度を前提として考える場合は、上述のとおり、複製技術の開発の度合いに応じて、技術的に制限する手段についても新たに開発し、採用することが求められているといえるが、その場合、採用する技術的制限措置のレベルが補償金の額にも影響し、それが緩ければ、補償金の額はより高額な「通常の使用料並み」の額に近いものにならざるを得ないのであろう。

       すなわち、複製の回数を技術的に制限する場合であっても、1回まで可能と仮に10回まで可能(10回可能のようなものは、そもそも30条から外れるものと思われるが)なものを30条の枠内のものと位置づけるのであれば、補償金の額で調整することが求められる。

     最後に、現行の補償金制度の導入に当たって重要な消費者の意識について、干補足して触れてみたい。

    第10小委員会報告書が指摘した報酬請求権制度の具体化を図るために必要な事項を検討するため、平成3年年12月、文化庁内に「私的録音録画問題協議会」が設置されたが、立法措置の実現を図るためには、利用者である消費者の意向を配慮する必要があった。

     そのため、すでに、報酬請求権制度導入に向けての著作権思想の普及事業は、メーカー団体の協力を得て権利者団体とともに(社)著作権情報センターにおいて積極的に実施されていたのであるが、その一環として、平成4年7月に、「私的録音録画に関する意識調査」が実施された。
     その結果を見てみると、わが国において私的録音録画にかかる報酬請求権制度の導入について、「導入してもよい」答えている人たちの割合が、56.5%に達していたのである(コピライトno379、平成4年10月)。

     このことは、権利者団体、メーカー団体等の関係者が、この制度導入について精力的に広報活動を行ってきた成果と捉えることができるとともに、「消費者一人ひとりは賢明な判断をしている」ということが思い起こされるのである。

    私的録音録画問題は利用者である消費者と直接関わるテーマであることから当然ながら、消費者にこの制度の意義や仕組み等について理解を得ていくことが求められている。

     そのためには、消費者、メーカー、権利者の代表者、学識経験者等の参加を得て、消費者の目線に立った広報のあり方や具体の事業等について検討する場を持つことが必要であることはいうまでもない。

以上

コメント

ã wrote:

私も一般庶民ですが、私情に偏りすぎてはいけません。
>・日本文化の発展の為の資金は税金でやればよい

税金は文化を目的とするより国防や福祉を目的としているようですね。

・見たくもない低俗な番組を流し、録画機、媒体購入すると権利者に金が渡る事に理解出来ない

権利者=芸能人ではありません。低俗なのは時代の流れであり、視聴率を取るためのビジネスですよね。
権利者の中には、今後の文化の何十年も先を真剣に検討している有識者だっているのです。
>・欲しいものには金をだす、不要なものに金は払わない

確かに、この包括的な徴収方法には、使用しないユーザにとっては不利益ですよね。
ですがあなたの意見は小学生なみです。
大人なので、税金は払いましょう。

>・保証金の使途が不明
正しくは「補償金」です。
協会のhpに毎年の収支決算、事業報告書、助成先の金額が1円単位で記されています。(アバウトなところもあるでしょうけれど)
そこは調べればわかることです。

>・権利者団体には文化庁天下り組がいる(噂?)
それはしょうがないかもしれません。
大きな組織にはつきものですね。
>・購入したCDを車で聴く場合は、CDを複製している(夏、CDが熱でゆがむから)

確かに、個人レベルでみれば小さな複製ですが、何十万人がそれを行っていると思えば大きな複製です。
日本の制度の悪いところは、「複製したかしないか」でユーザの意志が絡んでしまうところです。
海外では、「複製の可能性」に課金されているので、複製しようがしまいが、徴収されているのです。
>・「スポンサー収入でTV制作費がまかなえない」というのは嘘に見える、日本語もろくに話せないアナウンサーの年収が1000万円以上、各局の経常利益が3000億円超

テレビのことはよくわかりません。そうかもしれませんね。
2008-01-10 17:25:53

̱̽ wrote:

一般庶民の端的な意見です
・日本文化の発展の為の資金は税金でやればよい
・見たくもない低俗な番組を流し、録画機、媒体購入すると権利者に金が渡る事に理解出来ない
・欲しいものには金をだす、不要なものに金は払わない
・保証金の使途が不明
・権利者団体には文化庁天下り組がいる(噂?)
・購入したCDを車で聴く場合は、CDを複製している(夏、CDが熱でゆがむから)
・「スポンサー収入でTV制作費がまかなえない」というのは嘘に見える、日本語もろくに話せないアナウンサーの年収が1000万円以上、各局の経常利益が3000億円超
2007-08-09 14:14:53

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