ショートエッセイ:ケータイ・ペンネームの変遷<蝶―竜―蚕物語>

棚野正士備忘録

IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

 わたくしはケータイ電話(いまはスマホ)の署名を“知財忍者・青い蝶”から“青い竜”“青い蚕”に変えてきた。そこには“光輝高齢期”の若者の思いがある。

知財忍者・青い蝶

 カナダの少年の実話である。少年は脳のガンを患い余命いくばくもない状態だった。少年は世界で最も美しい蝶、南米の青い蝶ブルーモルフォに憧れていた。あるとき昆虫学者の青い蝶についての話を聞き、連れて行ってほしいと懇願した。少年は身体不自由で車椅子の生活だった。しかし、少年の余りの懇願に昆虫博士は根負けして、おぶって南米の山中に連れて行く決意をして、道もない山や川の中を何日も彷徨った。その挙句博士は体力が限界に達して、もう勝手にしろと少年を背中からほうり出した。  その途端、少年は自力で歩けだし、やがて二人は青い蝶ブルーモルフォに会った。その後少年は余命数か月の難病から奇跡的に立ち直った。青い蝶という強い夢が少年を難病から救った。

 忍者の忍は刃の奥に秘める心意気である。青い蝶は限りない青い宇宙に青く輝く果てしない夢である。

 青い蝶という筆名はここからとった。しかし、夜の蝶と間違えられるので改名した。

知財忍者・青い竜

 ブータン国王ご夫妻が国賓として2011年11月に来日され、11月18日、大震災の被災地、福島県相馬市の小学校を訪れた。新聞報道によると、国王は「励ましと親愛の情を示すために来ました」と述べ、「みなさんの中に人格という竜がいます。年を取って経験を積むほど竜は大きく強くなります」と話しかけたという。  なんと言う感動的なスピーチか。このときから筆名を青い竜に変えた。  若き国王ご夫妻の来日を機に、日本国民はみんなブータンを好きになったのではないだろうか。ひとつの言葉がひとの人生を変え、国を変える。「人格という竜」、これほど美しく力強い言葉はない。「人格という竜」は人にとっても国にとっても大切である。(余計なお節介であるが、西日本のある市長も是非竜を飼って頂きたい。)

知財忍者・青い蚕

 2013年4月、IT企業法務研究所の運営会社・株式会社インタークロス(桃井正典社長)は大手町から有楽町一丁目の蚕糸会館に移転した。有楽町一丁目は由緒あるビルが多く、街路樹の緑豊かな東京随一の品格ある街であり、蚕糸会館も由緒ある品格のあるビルである。  蚕糸会館に来て自分の“光輝高齢期”のイメージを固めた。絹糸を紡いで繭をつくり、やがて繭を食い破って蛾になって飛び出すというイメージである。  そしたら、ある日、桃井社長が教えてくれた。金糸を紡ぐ蚕があり、その金糸が最高の素材であると。  それで自分のイメージを変えた。金糸を紡いで繭を創り、飛び出す時は蛾ではなく金の蝶になると。たぶんイメージ倒れに終わるだろうけど。(2013.6.13記)

以上

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