大歌手田端義夫さんの急逝

棚野正士備忘録

IT企業法務研究所代表研究員 棚野正士

 今年2013年4月25日、一般社団法人日本歌手協会名誉会長田端義夫さんが急逝された。94歳であった。 田端さんは日本歌手協会第5代会長を平成7年から平成15年まで務められ、日本を代表する大歌手であると同時にわが国の芸能文化全体のために貢献された。  わたくしはかつて日本芸能実演家団体協議会(芸団協)事務局に所属し、芸団協の会員団体である日本歌手協会歴代会長とは親しくして頂いた。田端会長当時の平成7年12月4日、わたくしは青山学院大学法学部(半田正夫教授)から講義を依頼され、会長には失礼と思いながら協力をお願いした。  それは、初めにわたくしが「著作権法における実演家の経済権と人格権」について講義し、その後、田端さんが実演家の立場から講義すると共に演奏するという講義スタイルであった。1996年1月10付発行の芸団協機関紙に、わたくしは次の記事を書いた。


歌手の歌唱人格権をー田端義夫氏、青山学院大学で講義ー  日本歌手協会田端義夫会長は1995年12月4日、青山学院大学法学部の「情報社会と法」講座で講義を行った。この講座は日本レコード協会の寄付講座として開かれている(半田正夫教授主宰)。  田端氏は生い立ちをスライドで紹介するとともに43年間愛用しているギターを持参し「かえり船」「昭和三代記」を歌唱しながら、著作隣接権とは何か、実演家とはどのような存在かを講義し学生に深い感銘を与えた。  田端氏は、歌手の歌唱人格権を強調して次の趣旨で講義した。 『作詞家、作曲家、アレンジャー、歌手はレコーディングする段階で四角形一体のものである。歌手はその歌を自分の個性で、自分のイメージで魂を込めて、何回も何回も歌い研究して、私の場合なら田端式歌唱法で完璧にレコーディングする。たった三分と何秒かの短い時間で、詩が、メロディが伝えてほしいと願うその真髄を歌いあげるのである。出来上がったレコードは絶対的な芸術品であると私は言い切る。いちばん肝心な、いちばん責任ある役割を担っているのが歌手である。当然に「歌唱人格権」というものがあるべきではないでしょうか』『これからレコード界は歌手にすごい時代になる。宇宙空間に浮かんでいる人工衛星。家庭にいながらマルチメディアを楽しむ。データ放送、光ファイバー。著作権問題もますます複雑になって来る。まごまごしておられませんね』。(1996年1月10日発行「芸団協」9頁)


 当初、田端会長に恐る恐る青山学院大学での講義をお願いしたところ、学歴のない自分が大学生の前で講義をしてよいものかとずいぶん悩まれた。しかし、結局は引き受けてもらえた。(当日、田端さんは出席した学生たちにこの話をしながら、青山学院出身のペギー葉山さんに、青山は美人学生が多いから行きなさいと言われたので来たと話した。)  田端さんが満員の学生の前に立った時、演壇には予め付き人に用意させたサインペンで大きく書いた講義メモが置かれていた。決して上手とは言えない、しかし、真心を込めて書いたと思われる誠意溢れる書体がそこには並んでいた。それを見たとき、わたくしは胸が熱くなる思いがした。大歌手の心にある誠実さを今も忘れることはできない。  なお、その後で知ったが、当時芸団協会長であった六世中村歌右衛門は田端さんのファンで、それを知った田端さんは歌右衛門さんに自分のCD全集をプレゼントしたそうである。大芸術家同士の心の交流がそこにあった。

以上

コメント

棚野正士 wrote:
ペギー葉山さん、田端義夫さんを語る

ペギー葉山さん(筆者注:ペギーさんは一般社団法人日本歌手協会7代目会長)が2013年5月4日付け日経新聞「喪友記」に「田端義夫さんを悼む『心に染み入る歌』」を書いている。
 「私がデビューした1952年、田端義夫さんはすでにスターだった。(略)後に日本歌手協会の仕事でご一緒して親しくなった。」「ある日、テレビで『赤とんぼ』を歌う姿を拝見した。その味わいは歌謡曲の時とは全く違っていた。心にじんじんと染み入る人生の歌。私は思わず涙ぐんでしまった。」
 ペギーさんの追悼文を読んで、筆者は田端義夫さんの青山学院大学における講義と演奏に接して、胸が熱くなる想いをしたことを思い出した。
 そのペギー葉山さんも「心に染み入る人生の歌」を数々歌っている。「南国土佐を後にして」(武政英策作詞作曲)では、それまで誰も表現しなかった「よさこい節」を聞かせて人々の心に染み入り、深い感動を与えている。土佐出身の筆者はその一曲で郷里への世界観が変わった。 (棚野正士)

2013-05-06 11:40:18
棚野正士 wrote:
青山学院大学法学部発行「情報化社会と法ー(社)日本レコード協会寄付講座1995年度ー」(1996年発行)

田端さんの講義はこの本の中に記録として掲載されている。この中で生い立ちも語られ、生きてきた航跡を知ることが出来る。田端さんは日本放送出版協会発行「オース!オース!オース!バタヤンの人生航路」の中でこう書いている。
 「歌い手とは、ステージが華やかであればあるほど、寂しく孤独なものである。孤独であればあるほど悲しさ、優しさを歌の中に織り込めたように思われる。機を織るように………。時には血にまみれ、泥にまみれて」
 「自分には昨日はない。明日があるだけ」(1995年11月29日付け讀賣新聞)と94年の間現役歌手として自分の人生を貫かれた大歌手のご冥福を祈る。(棚野正士)

2013-05-01 10:46:23

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