「コピライト」NO.604 Vol.51(2011.8 著作権情報センター)“Copyright Essay”から転載

棚野正士備忘録

実演家の「録音権・録画権」を「複製権」に ―古くて新しい一つの提案―

CPRA著作隣接権総合研究所所長 棚野正士

 今年、新橋演舞場の三月大歌舞伎で、「六世中村歌右衛門十年祭追善狂言」を観ながら世紀の大芸術家への想いを馳せた。  中村歌右衛門は芸団協(社団法人日本芸能実演家団体協議会)会長を21年間務め組織の基盤を築いた。佐野文一郎氏は「演劇界」(平成5年12月臨時増刊新春特大号「女形六世中村歌右衛門」)で、「歌右衛門丈のこと」と題した名文を書かれ、「芸団協は、歌右衛門会長の下で、権利者の強固な団体であると同時に、芸術家の団体としての確かな品格をも備えようとしているかに見える。」と述べられている。  中村歌右衛門会長は最も芸を大切にする芸術家であり、同時に最も権利意識の強い実演家であった。  「歌右衛門追善狂言」で大見得を切る役者の演技を観ながらふと加戸守行著「著作権法逐条講義」の一文を思い出した。  実演の録音・録画以外の複製権は実演家の権利として規定されていないが、「逐条講義」は「歌舞伎の舞台で大見得を切った決定的瞬間であれば単純な連続動作よりも鑑賞的価値が高いということはいえましょうが、立法政策として実演家に権利を認めることは現在の我が国の国情に適さないと考えられたからであります。」(「著作権法逐条講義〔五訂新版〕」489ページ、著作権情報センター、2006)と解説している。  著作権情報センター資料室にある昭和41年9月1日付「著作権法の全部を改正する法律案(著作権課草案)」によると、次の条文案が起案されている。  「第92条(複製権)実演家は、次の各号に掲げる場合を除き、その実演を映画において複製し、又は写真により複製する権利を専有する。  一 その実演が実演家の許諾を得て映画において複製されたものであるとき。  二 その実演が実演家の許諾を得て写真により複製された場合において、当該複製物を当該許諾に係る目的と同一の目的のために増製するとき。」  この草案を見ると、著作権課は写真による複製を含む実演家の複製権を考えていたと思われる。  この著作権課草案が起案された当時の著作権課長であった佐野文一郎氏は「放送事業者には98条で写真による複製権を認めていますから、テレビジョンの画面を写真に撮ることについて放送事業者は権利を持つ。しかし、実演家は舞台で踊っているところを写真に撮ることについて権利がないということになっています。この区別の説明は、(中略)実演の場合には舞台で踊っている一瞬間を固定するのは、実演の固定ではなかろう。実演というのはある程度そこに連続したものがあるはずなんで、それを固定するから実演の固定ということが問題になるんだ。写真にとるのは実演の固定ではないという説明になるのですが、私は個人的にはそこには反対なんです。(笑)やはり写真による複製権を実演家に認めるべきだと私は思っています。」と意見を述べられている(「新著作権セミナー第13回―著作隣接権(つづき)−」ジュリスト481号104ページ以下、有斐閣、1971)。  大韓民国著作権法(1986年12月31日法律第3916号)第63条(録音、録画権)は、「実演家は、その実演を録音若しくは録画し又は写真で撮影する権利を有する。」と規定している(『外国著作権法令集(7)−韓国・台湾編―』著作権資料協会、1987)。その後改正された大韓民国著作権法(2009年7月31日法律第9785号)では、第69条(複製権)「実演者は、その実演を複製する権利を有する。」と定め、第2条(定義)22号で「『複製』とは、印刷、写真撮影、複写、録音、録画若しくはその他の方法により有形物に固定し、又は有形物に改めて製作することをいい(以下、略)」と規定している(金亮完訳「外国著作権法令集(45)−韓国編―」(著作権情報センター、2011)。  一瞬の演技、一音の演奏も実演家の全人格が投影された芸であり実演であることを考えると、実演家の「複製権」は古くて新しい課題として検討されてよいのではないだろうか。但し、実演家の写真複製権は判例法で保護され、実演の分野によっては契約で利益が守られており、検証すべき課題は多々あると考えられる。

以上

(追記:文中にお名前をお借りした佐野文一郎氏に了解を求めたところ、「実演家の複製権については、私はいまでも草案当時と同じように考えていますが、変った環境の下で、難しさを増しているのでしょうか。」というお葉書を頂いた。――棚野正士)

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